腹帯地蔵 本堂の脇壇に安置する腹帯地蔵尊は、昔、西光寺の南隣にあった清帯寺の本尊で、行基菩薩の作といわれ、婦人の安産並びに子宝授かりの霊験あらたかと伝えられる。清帯寺は後に廃寺となり、腹帯地蔵尊は当西光寺に移された。京都名地蔵二十一地蔵のひとつであり、洛陽四十八願所地蔵大菩薩第三十四番とされる。
名地蔵 江戸時代中期からその霊験が評判となり、固定して数えられるようになった地蔵。 「京羽二重」や「都すゞめ案内者」(いずれも江戸時代の京都案内記)にあげられる名地蔵は、将(勝)軍地蔵(愛宕山白雲寺)・勝軍地蔵(北白川)・目疾地蔵(仲源寺)・腹帯地蔵(誓願寺辻子の清帯寺)・同(北山大原)・矢田地蔵(寺町通三条上ルの矢田寺)・不焼地蔵(宇治木幡)・油懸地蔵(伏見下油掛町の西岸寺)・木槿地蔵(上京柳原の西林寺)・乙子地蔵(太秦常盤村)・頬焼地蔵(姉小路車屋町)・染殿地蔵(四条寺町)
・蔓巻地蔵(六波羅蜜寺)・夢違地蔵(室町通錦小路上ル)・首切地蔵(駒止地蔵、下寺町の蓮光寺)・水落地蔵(百万遍知恩寺内)・矢除地蔵(東寺四塚)・延命地蔵(壬生の地蔵院)・油掛地蔵(嵯峨安堵橋の西)・子安地蔵(下寺町の荘厳寺)・土筑地蔵(下寺町の本覚寺)。これらの多くは石仏であり、その堂や寺名の不明確なものも少なくない。
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