時宗四条派大本山金蓮寺塔頭の一つ。本尊は高さ2m余りの木彫裸形立像で秘仏の地蔵菩薩。江戸時代には、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第36番札所。札所本尊は染殿地蔵。
808年、空海(弘法大師)の開基にして、入唐帰朝の後当院に留まり十住心論を清書調巻されたことから十住心院と称した。またかっては釈迦院、敬禮寺、清和院釈迦堂、釈迦堂とも呼ばれていた。人皇55代文徳天皇の皇后・藤原明子は染殿皇后と呼ばれ、この地蔵尊に祈願し皇子(後の第56代・清和天皇)を生んだ。これより「染殿地蔵尊」と呼ばれたという。
また第62代・村上天皇第四皇子・為平親王は、四条中川付近に殿舎があり、染殿地蔵尊も邸内に祀られ御願寺となっていた。皇子は染殿親王(染殿式部卿)と呼ばれていたともいう。 987年、東大寺・沙門「然は宗から帰国し、赤栴檀の釈迦像を持ち帰った。仏像は嵯峨野・清凉寺に安置したが、自ら三尺余りの釈迦像を造り、当院に奉納したという。それゆえ四条京極の釈迦堂と呼ばれたという。
鎌倉時代には、時宗の開祖・一遍上人が大津にあった関寺より入洛、釈迦堂(染殿院)に滞在し、念仏賦算、念仏踊りをしたという。 1388年、室町幕府第3代将軍・足利義満は、金蓮寺に寄進したため金蓮寺塔頭になった。
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