染殿院のご朱印
ご朱印

京都の神社・仏閣
染殿院
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住所/〒604-8042 京都市中京区新京極通四条上ル中之町562
TEL/075−221−3648
アクセス
★電車/JR「京都」駅より市バス「四条河原町」下車 徒歩約5分
     阪急京都線「河原町」駅より徒歩で約5分
★車/名神「京都南」ICあるいは「京都東」ICより約20〜25分
駐車場/なし
拝観料/無料  境内自由

本堂
本堂

時宗四条派大本山金蓮寺(こんれんじ)塔頭の一つ。本尊は高さ2m余りの木彫裸形立像で秘仏の地蔵菩薩。江戸時代には、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第36番札所。札所本尊は染殿地蔵。
808年、空海(弘法大師)の開基にして、入唐帰朝の後当院に留まり十住心論を清書調巻されたことから十住心院と称した。またかっては釈迦院、敬禮寺(きょうらいじ)、清和院釈迦堂、釈迦堂とも呼ばれていた。人皇55代文徳天皇の皇后・藤原明子(あきらけいこ)は染殿皇后と呼ばれ、この地蔵尊に祈願し皇子(後の第56代・清和天皇)を生んだ。これより「染殿地蔵尊」と呼ばれたという。
また第62代・村上天皇第四皇子・為平親王は、四条中川付近に殿舎があり、染殿地蔵尊も邸内に祀られ御願寺となっていた。皇子は染殿親王(染殿式部卿)と呼ばれていたともいう。
987年、東大寺・沙門「然(ちょうねん)は宗から帰国し、赤栴檀(あかせんだん)の釈迦像を持ち帰った。仏像は嵯峨野・清凉寺に安置したが、自ら三尺余りの釈迦像を造り、当院に奉納したという。それゆえ四条京極の釈迦堂と呼ばれたという。
鎌倉時代には、時宗の開祖・一遍上人が大津にあった関寺より入洛、釈迦堂(染殿院)に滞在し、念仏賦算、念仏踊りをしたという。
1388年、室町幕府第3代将軍・足利義満は、金蓮寺(こんれんじ)に寄進したため金蓮寺塔頭になった。()

新京極通りからの入口、「時宗開祖一遍上人念仏賦算遺跡」石碑
安産御腹帯授興札
安産御腹帯授興札
そめどの地蔵尊石碑
そめどの地蔵尊石碑

夢窓疎石が、苔寺(洛西西芳寺)を作庭した際に、大石が重くて動かなかったという。そこに一人の僧が忽然と現れ、ただ一人で大石を動かし、夢窓疎石の思い通りに庭を造った。夢窓疎石は歓喜し、僧が袈裟を持たなかったため、夢窓疎石は自ら着ていた袈裟を贈った。僧は袈裟を受け取り、錫杖(しゃくじょう)を地に立てたまま消えたという。後日、夢窓疎石が四条の辺に托鉢し、たまたま染殿地蔵堂に詣でた。堂の扉を開けて地蔵を拝すると、先の僧に送った袈裟が地蔵菩薩の肩にかかっており、手に錫杖(しゃくじょう)がなかったので、先だっての僧はこの地蔵の化身であると知り、涙を流したという。
1864年、御所以南の大火に見舞われ(通称ドンド焼け)、そのときに仮堂(現在の建物)が建てられたという。
近代1928年、金蓮寺(こんれんじ)が北区鷹峯に移転し、当院のみは旧地に残される。()

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