住所/〒604−0014 京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694 TEL/075−211−1890 アクセス★電車/JR・近鉄「京都」駅、阪急「河原町」から 市バス「府庁前」「二条城前」下車 徒歩約5分 地下鉄「丸太町」駅下車 徒歩約5分 ★車/名神「京都南」ICから約20分 拝観料/無料
黄檗宗。京都十二薬師霊場第9番札所。本尊の薬師如来は782年伝教大師が16歳の折に彫った七体の一つで、現存するのは延暦寺と同院のみという。当時、比叡山の五障三従(ごしょうさんじゅう)の女人禁制を嘆き悲しみ、美濃国(現在の岐阜県)横倉に一院を設け安置された。その後、鎌倉時代1230年に疫病が全土に流行して、貴族や民衆の区別なく死者が相次いだ。ある日のこと、この寺の住職の夢に本尊の薬師如来が現れ、「皆、わたしの前に来れば一切の病苦を取り除こう。来也(こぬか)、来也(こぬか)(不来乎(こぬか)、不来乎(こぬか))。」と告げた。住職は感涙し、世にお告げを触れ回ったところ、遠国からも病人が集まった。そして本尊にお祈りするとたちまち病気は治った。以来、この本尊をこぬか薬師と称するようになった。その後、16世紀に上洛を果たした織田信長が、ご利益を聞いて美濃から移した。()
1688年には黄檗宗の鉄面寂錬禅師が再興し、京都七薬師の一つに数えられた。一時は大黒町一帯にまたがる広大な境内を持っていたが、1864年の蛤御門の変で焼失、1889年に裏門を正面にして縮小再建された。 御朱印を待っている間、お茶と黄檗銘菓「布袋」という干菓子を頂きました(右上)。