大覚寺の御朱印
摂津八十八カ所 御朱印

摂津八十八カ所

兵庫の神社・仏閣
大覚寺(だいかくじ)
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住所/〒660-0867 兵庫県尼崎市寺町9番地
TEL/06−6411−2705
アクセス
★電車/阪神本線「尼崎」駅下車 徒歩約5分
★車/名神高速道路「尼崎」ICから約15分
   阪神高速神戸線「尼崎東」出入口または「尼崎西」出入口から約5分
駐車場/数台(無料)
拝観料/無料

山門
山門
本堂・能舞台
本堂・能舞台

律宗。山号は月峯山(げっぽうざん)。本尊は十一面千手観世音菩薩。
摂津国八十八ヶ所霊場第65番札所。
605年に聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて、瑞光に輝く長洲の浦(大物)に建てた燈炉堂をもとに、創建されたと伝わる。燈炉堂は能勢剣尾山山上の月峯寺を遥拝するために建立されたといわれ、大覚寺の本尊は日羅上人の作と伝え、剣尾山上に輝く霊木から2体の千手観音を作り、1体を山頂の月峯寺に安置し、もう1体を大覚寺に安置した。よって山号を月峯山大覚寺と称すると伝わる。()

本堂
本堂
歓喜天堂
歓喜天堂

785年に長岡京遷都の一環として神崎川と淀川が結ばれ、長洲の浦(川尻・尼崎・長洲・大物などと呼ばれた)から神崎川を遡上し淀川を経て、木津川、宇治川、桂川と分れる。桂川は京の都につながり、宇治川は琵琶湖につながる物流の大動脈で、木津川は奈良の都に材木を運ぶために使われた。奈良や京都の巨大な社寺建設などに使われた巨木は「大物(おおもの)」と呼ばれ、その集積地であったことから「大物」の地名になったと言われている。
大覚寺の寺域は京都加茂社が海浜の新鮮魚介と献供の輸送に着目して長洲荘を開発した長洲御厨にあたり、またこの辺りは聖武天皇より東大寺に与えられた猪名荘があったため、両者は激しく領有を争っていた。大覚寺はこうした荘園の地元管理者として、経済管理や地方支配に当たり、燈炉堂も合併したと言われている。
当寺の鎮守社は貴布祢上賀茂下賀茂石清水八幡稲荷社で、京の都と難波の浦を結ぶ淀川水系に鎮座なさる神々が祀られている。()

鎮守社・芦刈からくり堂・薬師堂
鎮守社・芦刈からくり堂・薬師堂
市戎社・弁天社・燈炉堂
市戎社・弁天社・燈炉堂

当寺は、能楽「船弁慶」や「芦刈」の舞台となっている。
能楽「船弁慶」:静御前が清水観音の加護を祈りながら舞い義経との別れを惜しむ。壇の浦で滅ぼした平家の武将平知盛の亡霊が行く手を遮るが、弁慶の法力によって知盛の亡霊は白波の中に消えて、義経一向は無事に旅立っていくという物語。()

境内の説明板より
境内の説明板より

能楽「芦刈」:「難波の芦」にちなみ平安文学「大和物語」から取材して世阿弥が制作した謡曲。
故あって妻と別れた男が大物の浦大覚寺市庭で再会し幸福になった物語。
京都の祇園祭の山車には、この能楽「芦刈」を題材にした「芦刈山」が巡行している。
「芦」(あし)は「悪し」(あし)と音が同じなので、「悪し」を刈り取る神として夫婦和合の神と大切に守られている。()



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