下鴨神社の御朱印
御朱印 御朱印 御朱印
御朱印

葵祭
御朱印

相生社

京都の神社・仏閣
下鴨神社
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住所/〒606-0807 京都市左京区下鴨泉川町59
TEL/075−781−0010
アクセス
★電車/JR「京都」駅から市バス「下鴨神社前」下車すぐ
★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICより約25分
駐車場/有料(30分150円)
拝観料/無料   特別拝観「大炊殿(おおいどの)」 500円
開門時間/6:30〜17:00

世界文化遺産石碑
世界文化遺産石碑
二の鳥居(2010年賀)
二の鳥居(2010年賀)

正式名は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)神仏霊場京都21番。
1994年12月に「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
鴨川の下流に祀られているお社というところから「下鴨神社」と呼ばれている。()

二の鳥居
二の鳥居
楼門
楼門

東西の二殿の本殿はともに国宝。
西殿に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、東殿に玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られている。
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、古代の京都をひらかれた神さまで、山城の国一宮として京都の守護神として祀られている。また、農耕をひろめ民生の安定につとめられたことによって世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除、それに加え『古事記』『日本書紀』には、金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わされた御功績が伝えられている通り、導びきの神として方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面にわたっている。()

2010年賀大絵馬
2010年賀大絵馬
2014年賀大絵馬
2014年賀大絵馬

神服殿と舞殿
神服殿と舞殿
御手洗川と輪橋(そりはし)
御手洗川と輪橋(そりはし)

御子神、玉依媛命は山城国『風土記』などに、鴨川で禊(みそぎ─身を清める儀式)をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚された。そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられているので、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されている。()

式年遷宮御料お白石
式年遷宮御料お白石
大炊殿
大炊殿

言社(えとのお社)
言社(えとのお社)
橋殿
橋殿

干支のお社の大国主命は7つの名前を持ち、名前ごとに神社が祀られている。
・大国魂神(おおくにたまのかみ):巳、未歳生まれの守護神
・顕国魂神(うつくしにたまのかみ):午歳生まれの守護神
・大国主神(おおくにぬしのかみ):子歳生まれの守護神
・大物主神(おおものぬしのかみ):丑、亥歳生まれの守護神
・志固男神(しこおのかみ):卯、酉歳生まれの守護神
・大己貴神(おおなむちのかみ):寅、戌歳生まれの守護神
・八千矛神(やちほこのかみ):辰、申歳生まれの守護神()

舞殿(2019年賀)
舞殿(2019年賀)
舞殿(2019年賀)
舞殿(2019年賀)

御手洗(みたらし)・直澄(ただす)
御手洗(みたらし)・直澄(ただす)
奈良の小川の御手洗
奈良の小川の御手洗

(右上)奈良の小川の御手洗 古くからナラ林を流れる小川というところから「奈良の小川」と和歌に詠まれ有名になったところ。
この上流の船島は奈良殿神が祀られ、日照りや戦乱のとき、流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就すると言われる。()

御手洗社
御手洗社
御手洗池・みずみくじ
御手洗池・みずみくじ

(上)御手洗社 夏の土用になると清水に足をひたし無病息災を祈る。
みたらし団子の発祥地:池から湧く水あわを形どったのがみたらし団子である。()

相生社神額
相生社神額
相生社(えんむすびのお社)
相生社(えんむすびのお社)

(上下)相生社 縁結びの神様・神皇産霊神(かむむすびのかみ)をお祀りする。
このそばには、二本の木が途中から一本に結ばれている「連理の賢木」という珍木があり縁結びのシンボルとなっている。()

連理の賢木
連理の賢木
細殿(2019年賀)
細殿(2019年賀)

糺の森
糺の森
「第一蹴の地」石碑
「第一蹴の地」石碑

境内を取り囲んでいる森全体が史跡「(ただす)の森」で、12万4000平方メートル(東京ドームの約3倍)に約40種類、樹齢200年から600年の樹木が約600本あり、直径10cm以上の樹木は約4700群生している。平安京以前の原生林の植生を伝える貴重な自然林で、本殿や社殿とともに世界文化遺産に指定されている。()

社号碑と一の鳥居
社号碑と一の鳥居
さざれ石
さざれ石

狂言奉納
狂言奉納
牛車
牛車

(上)葵祭 下鴨神社と上賀茂神社(賀茂別雷(かもわけいかづち)神社)の例祭で、毎年5月15日に行われる。祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられる。
起源は、今から約1500年前の欽明天皇御代に凶作が続いたため、賀茂皇大神の崇敬者であった卜部伊吉若日子(うらべいきわかひこ)を勅使として、4月中酉(なかとり)の日に馬に鈴をつけ、人に猪頭(ししがしら)をかぶらせてこれを走らせ祭礼を行ったところ、風雨はやみ五穀は豊かにみのり国民も安泰になったという。また819年に中祀に準ぜられ(最も重要な祭礼で伊勢神宮以外ではこの葵祭のみ)盛観を極めたといわれている。その後時代とともに盛衰があったが、1884年(明治17年)旧儀に再興され、祭日も5月15日に定められた。
葵祭と称されるようになったのは、江戸時代1694年の再興以降のことと思われ、内裏宸殿の御簾(みす)をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、牛車にいたるまですべて葵の葉でかざるところからこの名があるとされる。使用される葵はフタバアオイで毎年両神社から御所に納められる。()




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