![]() 四国八十八ヶ所霊場 御朱印 |
![]() 遍路開創衛門三郎 御朱印 |
![]() 四国八十八ヶ所霊場 御 影 |
![]() 開創1200年記念 御 影 |
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住所/〒790-0852 松山市石手2-9-21
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![]() 境内(左から)三重塔・本殿・仁王門 |
真言宗豊山派。本尊は 薬師如来。四国八十八ヶ所第51番札所。 |
![]() 渡らずの橋と大師像 |
![]() 仁王門 |
728年に伊予の大守 |
![]() 入口の大師像 |
![]() 衛門三郎懺悔像 |
伊予の国荘原の強欲な庄屋であった衛門三郎は、托鉢に現れた旅の僧を弘法大師とは知らず、追い返そうと大師の手にした鉄鉢を竹箒で叩き落とした。鉄鉢は八つに割れ、翌日から八日の間に三郎の八人の子供が次々に亡くなってしまう。 |
![]() 回廊 |
![]() 三重塔 |
![]() 仕合わせの鐘 |
8年の歳月が過ぎ、三郎は二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても詫びたい気持ちから今度は逆に回ることにした。しかしその途中、阿波国(現・徳島県)12番札所焼山寺の麓で病に倒れる。その時、突然弘法大師が枕元に現れ、言い残すことはないかと尋ねられた三郎は、「来世は国司の家に生まれたい」という。死ぬまぎわに衛門三郎の罪を許した大師は、1寸8分の石に「衛門三郎再来」と書いて、三郎の左手に握らせた。すると三郎は安心して息を引き取った。その後、大師が文殊院で因縁切りの修法を行った。 |
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![]() 本殿 |
![]() 弥勒堂 |
![]() 護摩堂 |
![]() 一切経堂 |
翌年、道後湯築6代城主 |
![]() 大師堂 |
![]() 絵馬堂 |
なお、衛門三郎終焉の地に番外霊場の |
![]() 本堂 |
![]() 阿弥陀堂 |
境内から出土した法隆寺文様の瓦より、石手寺の前身は670年(白鳳時代)ごろ奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建立されたと考えられている。 |
![]() 仁王門 |
![]() 塔頭地蔵院 |
現在は鎌倉時代から室町時代初期の国宝重要文化財七件他多数の文化財を有し、また道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多い。 |
![]() 本堂玉の石 |
![]() 護摩堂玉の石 |
![]() 三重塔玉の石 |
![]() 本殿玉の石 |
![]() 阿弥陀堂玉の石 |
![]() 日中友好再生大師 |
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