中尊寺のご朱印帳
ご朱印帳ケース
ご朱印帳 ご朱印

中尊寺のご朱印
金色堂 ご朱印

金色堂
讃衡蔵 ご朱印

讃衡蔵
大日堂 ご朱印

大日堂
弁慶堂 ご朱印

弁慶堂
本堂 ご朱印

本堂
峯薬師堂 ご朱印

峯薬師堂
地蔵堂 ご朱印

地蔵堂
道祖神 ご朱印

道祖神

岩手の神社・仏閣
中尊寺(ちゅうそんじ)
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住所/〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
TEL/0191−46−2211
アクセス
★電車/JR東北本線「平泉」駅より徒歩約25分
★車/東北自動車道「平泉前沢」ICより約10分
      または「一関」ICより約20分
駐車場/400円(町営第一:約150台、町営第二:約300台)
拝観料/800円
拝観時間/3月1日から11月3日まで8:30〜17:00
       11月4日から2月末日まで8:30〜16:30

入口
入口
月見坂
月見坂

天台宗東北大本山。山号は関山(かんざん)
奥州三十三観音番外札所、四寺廻廊札所。
850年、慈覚大師円仁が東北に巡化した時、当地の藤原興世(おきよ)が円仁に帰依して堂宇を建立し、円仁手刻の仏像、書写如経を安置、日吉・白山両権現を勧請して創建した。
その後、源頼義、義家も寺領を寄進し、859年に清和天皇より中尊寺と名付けられた。()

本堂山門
本堂山門
本堂
本堂

1105年、奥州藤原氏初代当主清衡(きよひら)が堀河天皇の勅命を受け、前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するため大伽藍を造営した。
惜しくも14世紀に堂塔の多くは焼失したが、金色堂始め三千余点の国宝・重要文化財を伝える平安仏教美術の宝庫であり、2011年(平成23年)6月26日に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。()

地蔵堂
地蔵堂
大日堂
大日堂

覆堂
覆堂
金色堂〜パンフレットより
金色堂〜パンフレットより

(上)金色堂(こんじきどう)(国宝) 1124年の造立で、現存する唯一の創建遺構である。本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻く。堂全体を金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を表している。内陣は螺鈿(らでん)細工、蒔絵などの漆工芸や精緻(せいち)彫金(ちょうきん)荘厳(そうごん)され、平安仏教美術の最高峰をなしている。中央の須弥壇(しゅみだん)の内に初代清衡(きよひら)、向かって左の壇に二代基衡(もとひら)、右の壇に三代秀衡(ひでひら)の遺体と四代泰衡(やすひら)の首級が納められている。()

旧覆堂
旧覆堂
旧覆堂
旧覆堂

経蔵
経蔵
讃衡堂
讃衡堂

源義経は、平治の乱(1160年)で父・義朝(よしとも)が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、藤原秀衡(ひでひら)の庇護を受ける。
そして1180年に兄源頼朝の挙兵に呼応して、伊豆黄瀬川の陣に参じ、その後は破竹の勢いで平家を追討した。しかし、頼朝との亀裂によって追われる身となった義経は1187年、秀衡(ひでひら)をたより再び平泉に身を寄せるが、同年10月に秀衡(ひでひら)が病死すると、四代泰衡(やすひら)は、頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込んだ。しかし源頼朝を棟梁とする鎌倉の軍勢は奥州を攻め、1189年に藤原氏は滅亡した。
その後、鎌倉幕府は1288年に金色堂を修理し、覆堂(おおいどう)を設けるなど数度にわたる修理を行っているが、奥州藤原氏という大きな後ろだてを失い、しだいに平泉内の寺院は荒廃する。そして1337年、大きな火災があり諸堂は焼失し、かろうじて金色堂や中尊寺経などの寺宝が残った。()

阿弥陀堂
阿弥陀堂
不動堂
不動堂

白山神社鳥居
白山神社鳥居
白山神社十二支一代守護神社
白山神社十二支一代守護神社

戦国時代には豊臣秀吉の命により中尊寺経が京都伏見に運び出され、現在は高野山観心寺などに所蔵されている。
江戸時代になると平泉は伊達藩領となり、歴代の藩主は寺の収入を安堵し、堂社を修理するなど中尊寺をあつく保護した。現在参道沿いに立ち並ぶ樹齢350年の老杉も伊達藩によって植樹されたもの。また能楽を愛好し、古来中尊寺の僧侶により山内の白山神社に奉納されてきた御神事能(ごじんじのう)を推奨し、能舞台を建立して能装束を奉納している。
また1665年に江戸幕府の寺社政策によって中尊寺は上野の東叡山(とうえいざん)寛永寺(かんえいじ)の直末寺となった。そして1958年(昭和33年)4月に別格大寺に昇格し、天台宗東北大本山の称号を許され、11月には天台宗総本山延暦寺より不滅の法灯を伝承した。()

白山神社
白山神社
白山神社能舞台
白山神社能舞台

観音堂
観音堂
弁慶堂
弁慶堂

1950年(昭和25年)には金色堂須弥壇(しゅみだん)の内に800年の間安置されてきた藤原氏四代の遺体の学術調査がおこなわれた。この調査によって四代公の人種、年齢、死因、身長や血液型など多くのことが解り、また多数の副葬品のなかから四代泰衡(やすひら)の首桶から発見されたハスの種が1998年(平成10年)開花に成功し、「中尊寺ハス」と命名された。
また同年に、法隆寺金堂壁画焼失を契機に文化財保護法が制定され、翌年1951年(昭和26年)金色堂が国宝建造物第1号に指定される。(これに伴い従前の史蹟名勝天然記念物保存法 、国宝保存法、重要美術品等の保存に関する法律などは文化財保護法に吸収されて廃止。)
1962年(昭和37年)には著しく破損してきた金色堂の解体修理がおこなわれ、またこの時に新覆堂が建設された。()

鐘楼
鐘楼
弁慶像
弁慶像
寺号碑
寺号碑

峯薬師堂
峯薬師堂
釈迦堂
釈迦堂

平泉では、奥州藤原氏四代(清衡(きよひら)基衡(もとひら)秀衡(ひでひら)泰衡(やすひら)にて約100年にわたって王朝風の華やかな文化が栄え、毛越寺(もうつうじ)基衡(もとひら)建立)、観自在王院(基衡(もとひら)夫人建立)、無量光院(秀衡(ひでひら)建立)などの寺院が建立されたが、当時の面影をとどめるのは中尊寺金色堂、毛越寺庭園と、紺紙金銀字経などのわずかな遺品のみである。
1689年、松尾芭蕉(まつおばしょう)は「おくのほそ道」の旅で当地を訪れ、「夏草や (つはもの)どもが 夢のあと」、「五月雨(さみだれ)の降のこしてや光堂(ひかりどう)」という俳句を詠んでいる。()

松尾芭蕉像
松尾芭蕉像
松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉句碑