高野山金剛峯寺のご朱印
奥之院 ご朱印

奥之院
根本大塔 ご朱印

根本大塔
金堂 ご朱印

金堂
金剛峯寺 ご朱印

金剛峯寺
苅萱堂 ご朱印

苅萱堂
女人堂 ご朱印

女人堂

和歌山の神社・仏閣
高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)
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住所/〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山132
TEL/0736−56−2011
アクセス
★電車/南海高野線「極楽橋」駅下車 南海高野山ケーブルで「高野山」駅へ
       「高野山」駅前から各名所へは山内路線バス(南海りんかんバス)利用
★車/和歌山県橋本市より約1時間
駐車場/各所多数あり(無料) 但し行楽期は非常に混雑
一般拝観料拝観時間
金剛峰寺500円共通内拝券
1500円
(1日間有効)
2000円
(2日間有効)
8:30〜17:00
金堂200円
根本大塔200円
大師教会無料
(授戒料500円)
徳川家霊台200円
霊宝館600円(5〜10月)8:30〜17:30
(11〜4月)8:30〜17:00
奥之院無料納経
(5〜10月)8:00〜17:00
(11〜4月)8:30〜16:30
燈籠堂開扉
6:00〜17:30
女人堂無料8:30〜17:00

女人堂からの石柱門
女人堂からの石柱門

高野山は真言密教の開祖である弘法大師(空海)によって開かれた霊場。816年弘法大師は嵯峨天皇より高野山を下賜され、真言密教の根本道場を開いた。弘法大師が入定した「奥之院・御廟」を信仰の源泉、「壇上伽藍」を修学の場所として、今も多くの人の信仰を集めている。
西国三十三所観音霊場番外札所、神仏霊場和歌山13番、真言宗十八本山霊場のひとつ。()

総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)
金剛峯寺の名称は弘法大師が、金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)の深意を象徴するものとして命名したもので、高野山一山の総称であった。この金剛峯寺は1593年豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、更に1863年再建されたもの。1872年(明治2年)に金剛峯寺と改称されるまでは青巖寺と呼ばれていた。

金剛峰寺 大主殿
金剛峰寺 大主殿

中世以前から、高野山は密教の研究や祈祷に専念する学侶方、寺院経営や諸堂の管理をする行人方、全国に布教、勧進する多くの僧の聖方の三派で成っていたが、1872年(明治2年)に三派が合併し、総本山となった。()

正門
正門
(左)鐘楼、(右)正門
(左)鐘楼、(右)正門

現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総轄する伝統はそのままここに残され、又、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所がある。
本山内には東西54m、南北63mの大主殿(県重要文化財)のほか、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然廟、護摩堂、阿字観道場、茶室などがある。()

蟠龍庭
蟠龍庭
東門
東門

(左上)蟠龍庭(ばんりゅうてい) 石庭として国内最大級(2340m)。四国産の青い花崗岩140個で「龍」を、京都の白い砂で「雲海」を表し、雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っているように表現されている。()

壇上伽藍(だんじょうがらん)
奥之院とともに高野山の二大聖地となっている。真言密教の道場として中核となる場所で、高野山開創に当たり、まずここに諸堂が建立された。

金堂
金堂
金堂
金堂

(上)金堂 高野山一山の総本堂で、年中行事の大半がここで勤修される。本尊と両部曼陀羅を修法する3壇をもつ密教の大堂である。大師私願の堂として造営が進められ、完成後は嵯峨天皇御願の堂とされた。現在の堂は1932年(昭和7年)再建、1934年(昭和9年)落慶、四隅の八供養菩薩と裏堂の壁画は木村武山画伯の筆、両部曼陀羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼陀羅」である。()

西塔
西塔
不動堂
不動堂

(左上)西塔(さいとう) 887年、光孝天皇の勅命により、当山二世真然僧正が、大師の遺された「御図記」に従って根本大塔に続いて建立。現在の塔は1834年の再建。塔前の石灯籠は医聖華岡青洲の寄進にかかる。
(右上)不動堂 国宝。1198年一心谷に行勝上人が創建。現在の堂は14世紀初頭再建、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用したもの。1908年(明治41年)現在地に移された。1996年(平成8年)解体修理が行われた。()

東塔
東塔
根本大塔
根本大塔
六角経蔵
六角経蔵

(左上)東塔(とうとう) 1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河上皇の御願により創建。尊勝佛頂尊と不動明王・降三世明王を祀る。1984年(昭和59年)に再建。
(中央上)根本大塔(こんぽんだいとう) 伽藍中心の塔として816年高野山開創の頃より着手し、大師と真然の二代を費やして887年頃完成した。高さ約50m、四面30m中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には堂本印象画伯筆の十六大菩薩を配して曼陀羅を立体に顕す。壁には同画伯筆の八祖大師を描く。現在の建物は1937年(昭和12年)再建、外壁塗り替えは1996年(平成8年)完成。北側の多聞天と持国天は江戸後期の作で、中門両脇の像だが、現在は大塔内に仮安置されている。
(右上)六角経蔵(ろっかくきょうぞう)荒川経蔵(あらかわきょうぞう) 1159年皇后であった美福門院得子が夫の鳥羽上皇の菩提を弔うために創建。紺紙金泥一切経を納置するとともに、一切経会料として紀伊国荒川荘を寄進した。金泥一切経蔵、荒川経蔵とも呼ばれる。現在の蔵は1934年(昭和9年)の再建。()

大会堂
大会堂
愛染堂
愛染堂

(左上)大会堂(だいえどう) 1175年皇女五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建。東別所にあったが、西行法師が同内親王に勧め、長日不断談義の学堂として壇上に移し蓮華乗院と称した。後に法会の集会の堂となった。現存は1848年のもの。
(右上)愛染堂 1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため不断愛染護摩並びに長日談義を修する目的で建立された。本尊は同天皇等身の愛染明王で現在の建物は1848年のもの。()

三昧堂
三昧堂
勧学院
勧学院

(左上)三昧堂(さんまいどう) 928年金剛峯寺座主済高大僧都の創建。もとは本中院谷の東南院にあったが、1177年西行法師が現在地に移建した。堂前には法師が植えたとされる「西行桜」がある。現在の建物は1816年再建。
(右上)勧学院 もとは北条時宗が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として金剛三昧院(こんごうさんまいいん)境内に建立した。1318年に後宇多法皇の院宣によって現在の位置に移転。
現在でも勉学・修練の行事である勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、一般の立ち入りは禁じられている。()

御影堂
御影堂
(左)孔雀堂(右)准胝堂
(左)孔雀堂(右)准胝堂

(左上)御影堂(みえどう) もとは大師の持仏堂であったが、入定後、実恵僧都が師の御影を安置する堂とした。御影は真如親王が大師の生身を写し、大師自ら開眼にかかる最も尊厳を尊ぶ御堂である。
(右上左側)孔雀堂(くじゃくどう) 1200年、延杲(えんごう)大僧正が干天に雨を祈って成就し、後鳥羽上皇の賞賜として建立。祈雨の本尊である孔雀明王を祀る。現在の堂は1984年(昭和59年)の再建。
(右上右側)准胝堂(じゅんていどう) 973年以前の創建。本尊准胝(じゅんてい)観音、大師得度剃髪の際、自らの本尊としてお祀りされたと伝えられる。現在の堂は1883年(明治16年)の再建。()

山王院
山王院
山王院
山王院

(上)山王院(さんのういん) 御社の拝殿で1171年以前の創建。現在の堂は1845年の再建である。()

御社
御社
大塔の鐘
大塔の鐘

(左上)御社(みやしろ) 高野山開創にあたり、819年に大師は、結界守護のため、丹生・高野(狩場)両大明神を現在の地に勧請した。当山の地主神である丹生・高野両大明神を祀る本殿2社、十二王子及び百二十伴神を祀る総社の3社からなる。後に行勝上人が気比明神、厳島明神を勧請し四社明神とした。現在の社殿3棟(重要文化財)は1522年の再建である。
(右上)大塔の鐘 大師が発願され、第二世真然大徳の代に完成。焼失して三度ほど改鋳された。現存は1547年の鋳造で直径7尺、重量1600貫(約6トン)、高野四郎の名で親しまれている。1日5回、計108の鐘の音を響く。()

六時の鐘
六時の鐘
蛇腹道
蛇腹道

(左上)六時の鐘 伽藍入口の高い石垣にある鐘楼。1618年、福島正則が父母の菩提を弔うために建立した。1640年に焼失し、息子の正利が志を継いで再建。午前6時から午後10時まで偶数時に、山内に時刻を知らせている。
(右上)蛇腹道(じゃばらみち) 弘法大師は高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容した。この時、壇上伽藍を頭、現在の蓮花院までを龍が臥していると例えたので、ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたり、こう呼ばれるようになった。また弘法大師が竹ぼうきで蛇を払ったという伝承もある。()

中門(2015年)
中門(2015年)
中門跡(2012年)
中門跡(2012年)

(上)中門 高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれる。819年の創建。焼失、再建を繰り返し1843年以来再建されず礎石だけが露出した中門跡として残っていたが、2015年の高野山開創1200年記念大法会を期して再建される。地中には焼失前の礎石が埋まっている。
正面の持国・多聞の二天像は1820年再建時のもの。()

持国天
持国天
多聞天
多聞天
増長天
増長天
廣目天
廣目天




奥之院
入口である一の橋から弘法大師御廟(ごびょう)までの霊域を奥之院と言い、約2kmにわたる参道には、樹齢千年を越える杉並木の中、二十万基ともいわれる墓石群が並ぶ。ここには浄土宗の開祖・法然や浄土真宗の開祖・親鸞など大宗教家の墓、織田信長や明智光秀、武田信玄、上杉謙信などの武将の墓、慰霊碑や供養塔などがある。また奥之院は無事四国遍路を終えた人にとっては、結願の報告をする満願の地でもある。

一の橋
一の橋
豊臣家墓所碑
豊臣家墓所碑
結城(松平)秀康及び同母霊屋
結城(松平)秀康及び同母霊屋
水向地蔵
水向地蔵

(右上)水向地蔵 御廟橋のすぐ手前、玉川を背にして地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩が並ぶ。御供所で求めた経木(水向塔婆)をここで奉納し、水を手向け、亡くなられた方の冥福を祈る。()

参道
参道
御廟橋
御廟橋
法然上人御廟所碑
法然上人御廟所碑

(中央上)御廟橋 ここから先は御廟の霊域となり写真撮影は禁止。この橋の板石は36枚あり、橋全体を1枚と考え、金剛界の三十七尊を表す。板石の裏にはそれぞれの仏様の象徴、種字が梵字で刻まれている。()

燈籠堂
燈籠堂
奥の院前バス停からの参道
奥の院前バス停からの参道

(左上)燈籠堂(とうろうどう) 弘法大師御廟の拝殿。真然大徳が建立し、1023年藤原道長が大きくした。現在の建物は1964年の建立。
堂内には千年近く燃え続けている「消えずの火」があり、1016年に祈親(きしん)上人が献じた祈親燈、白河上皇が献じた白河燈、また祈親(きしん)上人の勧めで貧しいお照かが大切な黒髪を売ってまで献じた祈親灯(お照の一灯)が平安時代より燃え続けている。堂内正面には醍醐天皇から賜った『弘法』の諡号(しごう)額がある。()

護摩堂
護摩堂
御供所
御供所

(右上)御供所(ごくしょ) 大師へお供えする毎日の食事を調理する場所。参詣者の奥之院への奉納もここで取り次ぎしている。()

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吽形像
吽形像
大門
大門
阿形像
阿形像

(上)大門 高野山の総門。開創当時は現在地より約500m下の九十九谷(つづらおりだに)に一基の鳥居があり、それが総門であった。現在の門は1688年に炎上後、1705年に再建され、1986年に弘法大師御入定1150を記念して修復されたもの。
大門は二階二層門で、高さは25.1m。両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師・康意(阿形(あぎょう)像)、運長(吽形(うんぎょう))による作。()

苅萱堂
苅萱堂

(上)苅萱堂(かるかやどう) 親子の名乗りをあげられないまま修行に明け暮れたという苅萱道心と石童丸の悲しい物語ゆかりのお堂。壁面には石童丸伝説にちなんだ絵画が掛けられている。()

女人堂
女人堂

(上)女人堂 高野山では明治の初めまで女人禁制が守られており女性は山内に入れなかった。そのため主な七つの参道(高野七口)の入口には女性のための籠り堂として女人堂があった。現在は北西の入口にある不動坂口にのみ女人堂が残っているが、他の入口にも女人堂跡が残っている。()

小杉明神社
小杉明神社
お竹地蔵
お竹地蔵


極小仏像(小)弘法大師 立

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