京都の神社・仏閣
金地院(こんちいん)
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住所/〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町86-12
TEL/075−771−3511
アクセス
★電車/JR「京都」駅より市バス「東天王町」下車または
       「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩約5分
     地下鉄東西線「蹴上」駅下車 徒歩約5分
★車/名神「京都東」ICから約10分
駐車場/南禅寺駐車場利用 約50台
 (1,000円/2時間以内 以降500円/1時間毎)
拝観料/400円
拝観時間/8:30〜16:30(12月1日〜2月28日)
       8:30〜17:00(3月1日〜11月30日)

大門
大門
庫裡
庫裡

臨済宗南禅寺派。南禅寺塔頭。本尊は地蔵菩薩。
応永年間(1394〜1428)に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺。
1605年、以心崇伝が南禅寺塔頭に移建して現在に至る。()

弁天堂
弁天堂
弁天池
弁天池

金地院(こんちいん)崇伝(すうでん) 崇伝(すうでん)は足利義輝の家臣一色秀勝の次男として生まれ、6歳の時に臨済宗南禅寺に入って出家し、抜群の学才が認められ1605年南禅寺第270世住職に37歳の若さでなった。そして応仁の乱で焼失した南禅寺の伽藍復興に力を注ぎ、法堂、方丈、山門、鐘楼を次々に再建し、五山制度の統括を通じて南禅寺の権威を高め、南禅寺の中興の祖といわれた。1626年に後水尾天皇から円照本光の国師号を賜った。
崇伝(すうでん)には大きな二つの事件が関わる。一つは方広寺の鐘銘に「国家安康」の四文字があり家康の名前を引き裂いているという方広寺鐘銘事件、もう一つは幕府が、大徳寺妙心寺などの紫衣勅許を無効としたことに反対した沢庵らを流罪にし、後水尾天皇譲位にまで発展した紫衣勅許事件である。
家康が亡くなるとき、遺言は本多正純と二人で聞いたといわれるほど家康の信頼が厚く、政治に関して多くの法度をつくり黒衣の宰相と呼ばれた。1633年正月20日に江戸城田安御門内にあった金地院において65歳で遷化した。()

方丈
方丈
庭園
庭園

楼門
楼門
楼門
楼門

(下)東照宮(重要文化財) 崇伝が徳川家康の遺嘱により、家康の遺髪と念持仏とを奉戴(ほうたい)して1628年に造営したものである。創建当初は諸堂完備し、高大で壮麗さは日光東照宮に比すべきものであったという。現存の拝殿、石ノ間、本殿等は京都に残る唯一の権現造り様式である。拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、三十六歌仙の額は土佐光起の筆であり、歌は青蓮院宮尊純法親王の筆跡である。()

東照宮
東照宮
東照宮
東照宮

開山堂と鶴島
開山堂と鶴島
鶴亀の庭園
鶴亀の庭園

(上)鶴亀の庭園(特別名勝) 1630年、小堀遠州の作。桃山時代の風格を備えた江戸時代初期の代表的枯山水にして、古来名声高き庭園である。
前面の白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表す。長方形の大きな平面石は東照宮の遥拝石であり、その右が鶴島、左が亀島である。中間に群仙島をかたどる石を点在せしめ、前方には崖地を利用して蓬莱石組を立つ。背景の大刈込は、幾重にも折り重なる山々で深山幽谷を現す。()

東照宮参道
東照宮参道
明智門
明智門

(左上)明智門 1582年、明智光秀が母の菩提のため、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものを1868年に移築された。()




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