大徳寺 |
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住所/〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町53
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総門 |
勅使門 |
臨済宗大徳寺派の大本山。山号は |
本坊入口 |
庫裡 |
応仁の乱で荒廃したが、「一休さん」として親しまれる47世住持の一休宗純が堺の豪商の保護を受け復興。その後、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提をとむらうために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極める。 |
山内図 |
山門 |
仏殿 |
(左上)三門(山門) 重要文化財。大徳寺最古の建物の一つ。応仁の乱で焼失後、1526年一休禅師の参徒連歌師宗長が一階部分を寄進し、1589年に二階部分が千利休居士によって増築され、金毛閣と名づけられた。ここは利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話が有名。 |
唐門〜パンフレットより(撮影禁止のため) |
方丈〜パンフレットより(撮影禁止のため) |
(左上)唐門(国宝) 方丈前庭にある。村上周防守が聚楽第の遺構を譲り受け、明治になって明智門があった現在の場所に移された。この唐門は彫刻や金具の豪華さ、豊富さに特徴があり、日光東照宮の日暮門の模型となっている。
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法堂 |
境内 |
修行専門道場(龍翔寺) |
修行専門道場(龍翔寺) |
三玄院 |
石田三成 墓地石碑 |
三玄院 |
(上)三玄院 塔頭寺院。1589年、浅野幸長・石田三成・森忠政(蘭丸の弟)が |