方広寺 |
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住所/〒605-0931 京都市東山区大和大路通正面東入ル茶屋町527-2 |
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境内 |
(左)本堂 (右)大黒天堂 |
天台宗。奈良・東大寺を模して木造盧舎那仏坐像を本尊とし、1586年に豊臣秀吉が創建。その大仏は1596年の大地震により破壊し、1602年に炎上した。その後1610年に徳川家が秀頼に勧め、秀吉の追善供養にと金銅大仏が再興されたが、これも1662年の地震により倒壊、徳川家により寛永通宝に改鋳された。1664年に木造の大仏が造られたが、また1798年に雷火により焼失、1843年尾張を中心に伊勢、美濃、越前の人々の寄進で木造半身の大仏像がまつられたが、1973年に火災で焼失し、現在は本堂、大黒天堂、大鐘楼を残すのみとなっている。 |
大鐘楼 |
大梵鐘 |
1614年に鋳造された大梵鐘は、京都三条釜座の名護屋三昌によって完成された。この銘文を作った清韓長老は救世の悲願を込めたのだが、崇伝らによって文中の「国家安康・君臣豊楽」などを、故意に曲解して読み、徳川家へ呪いを込めた文章であるとして豊臣氏討滅への口実に利用された。 |
大梵鐘 |
大梵鐘 |
(左下)淀君の幽霊 大梵鐘の内部に白い雲のようなものがあり、東側のものは人が立っているように見える。これは淀君の怨念が幽霊になって残ったものと言われている。 |
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大梵鐘 |
大仏殿石垣と石碑 |
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