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住所/〒605-0971 京都市東山区今熊野椥ノ森町42 |
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鳥居 |
拝殿 |
熊野信仰が盛んな平安後期1160年、後白河上皇によって創建。後白河上皇は現在三十三間堂の東側にある法住寺(当時は法住寺殿という)に住み、その鎮守社として新熊野神社、鎮守寺として三十三間堂を創建した。その造営には法皇の命を受けて平清盛が当たった。平清盛は熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。 |
社号碑 |
大樟 |
石碑 |
法皇は一生のうちに33回熊野に参詣したが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことゆえ、熊野の新宮・別宮として創建され、長く京の熊野信仰の中心地として栄えた。「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の認識が、その名の由来となっている。
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石碑 |
樟龍弁財天 |
大樟さんの「さすり木」 |
大樟と樟龍弁財天 |
いまくまの大権現 |
(右下)能楽の碑 能楽の世阿弥がまだ藤若丸と称していた頃、父の観世清次と共に大和の猿楽結崎座を率い勧進興行を行ったところ。「今熊野勧進猿楽」と呼ばれ、見物していた室町幕府第三代将軍義満が、その至芸に感激し二人を同朋衆に加え、父子を観阿弥・世阿弥と名乗らせた機縁の地である。 |
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社務所 |
能楽の碑 |
「熊野大権現社」、「熊野十二社権現」といわれ、熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社に祭られている12神を祭り、本社には熊野那智大社の主祭神である |
上社と中社 |
下社(中央奥) |
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裏山「熊野古道」 |
裏山「熊野古道」 |
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