熊野速玉大社の御朱印
御朱印 神倉神社 御朱印

摂社 神倉神社

和歌山の神社・仏閣
熊野速玉大社
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住所/〒647-0081 和歌山県新宮市新宮1
TEL/0735−22−2533
アクセス
★電車/JRきのくに線「新宮」駅より
      熊野交通バス「権現前」下車すぐ、あるいは徒歩約20分
★車/紀勢自動車道「紀勢大内山」ICより国道42号線を経て約3時間半
   あるいは阪和自動車道「南紀田辺」ICより
     国道311、168号線を経て約3時間
駐車場/約30台(無料)
拝観料/無料  神宝館/500円
拝観時間/9:00〜16:00

大鳥居
大鳥居
鳥居神額
鳥居神額

神仏霊場和歌山第1番。
2004年7月、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録。
那智勝浦町の熊野那智大社、本宮町の熊野本宮大社と共に熊野三山の一社で、全国約4千社と云われる熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社でもある。()

神門
神門
世界遺産碑
世界遺産碑

景行天皇の御代に熊野三所権現(熊野速玉男大神(くまのはやたまおのおおかみ)[通称では伊奘諾尊(いざなきのみこと)(伊邪那岐神)])、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)熊野牟須美大神(くまのむすみのおおかみ)、通称では伊奘冉尊(いざなみのみこと)(伊邪那美神)]、熊野家津美御子大神(くまのけつみこのおおかみ)(熊野家都御子大神)[通称では素戔嗚尊(すさのをのみこと)(須佐之男神)])が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地に遷り、神殿を建てたのが始まり。これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと伝えられる。
神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体とする自然崇拝が源。
御祭神は、熊野速玉男大神(くまのはやたまおのおおかみ)熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ、新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めている。()

社殿
社殿
鈴門
鈴門

(左下)(なぎ)の大樹 国指定天然記念物。推定樹齢1000年。熊野三山造営の勅使として参った平重盛手植えと伝えられる。
(右下)熊野御幸碑 907〜1303年の396年間に上皇、女院、親王を含め23方、140回に及ぶ皇室の参詣があり、これを熊野御幸と呼んでいる。最初は907年宇多上皇、次が992年花山法皇、ここまでは単発ゆえブームまではなかったであろう。その約100年後から白河上皇が12回詣で、熱狂的な高まりを見せるきっかけとなった。その後多いのは鳥羽上皇の23回、後白河上皇の33回、後鳥羽上皇の29回がある。
行路は、京都、住吉、和泉、紀伊半島海岸沿いに南下して田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って新宮、那智山、雲取、本宮で、往路を逆行して帰京する約1カ月のコース。()

梛(なぎ)の大樹
梛(なぎ)の大樹
熊野御幸碑
熊野御幸碑

(左下)神宝館 「南紀州の正倉院」と呼ばれている。皇室奉納の国宝古神宝のほか重要文化財の糸巻太刀、朱塗り神幸船、金銅装神輿をはじめ多数の古文書、郷土の古美術品や資料を展示している。()

神宝館
神宝館
摂末社:八咫烏神社、手力男神社
摂末社:八咫烏神社、手力男神社

寺社巡り覚書
熊野三山の鳥居、神門の神額のなかで、この速玉大社の神門だけ『全国熊野神社 総本宮』と書いていた。ここが総本宮なのか。()

熊野古道 熊野川
熊野本宮大社から熊野速玉大社まで熊野川を舟で下ることも多かったという熊野詣。熊野川「道の駅」下川原〜「熊野速玉大社」横川原までの16km、1時間半の川舟下りがここでは体験できる。()

道の駅「瀞峡街道 熊野川」
道の駅「瀞峡街道 熊野川」
熊野川
熊野川



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