大念佛寺の御朱印
御朱印

大阪の神社・仏閣
大念佛寺
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住所/〒547-0045 大阪市平野区平野上町1-7-26
TEL/06−6791−0026
アクセス
★電車/JR大和路線「平野」駅より徒歩約5分
     地下鉄谷町線「平野」駅より徒歩約8分
★車/阪神高速松原線「駒川」ランプから約5分
       「平野」ランプから約2分
駐車場/無料
拝観料/無料
拝観時間/9:30〜16:30(17:00閉門)

山門
山門
本堂
本堂

融通念佛宗の総本山。開基は聖応大師良忍上人。山号は大源山(だいげんざん)
創建は1127年で日本最初の念仏道場。
おおさか十三仏霊場第10番札所、河内西国三十三箇所特別客番、なにわ七幸4番、神仏霊場大阪5番。
聖徳太子信仰の厚かった天台宗の良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。()

経堂
経堂
龍王殿
龍王殿

平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。
良忍上人が比叡山での修行を終え、さらに仏道を求めようと京都大原に住まい、来迎院、浄蓮華院を創建。1117年、良忍上人が46歳の時、阿弥陀如来より 「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満」 (一人の念仏が他の全ての人(一切人)に功徳を及ぼし、一切人の念仏が一人の功徳となり、また念仏の一行をもって他の萬行に通じ、萬行をもって一行におさまるがゆえに功徳も広大になる。皆の唱和する中に阿弥陀仏の本願力と自己の念仏の力と一切人の念仏の力とが互いに融通して現世に喜びあふれ智慧輝く楽土を建設することをめざす) の偈文を授かり、融通念仏を感得した。()

鐘楼
鐘楼
楽邦殿(納骨堂)
楽邦殿(納骨堂)

平野の地は征夷大将軍 坂上田村麿の第二子広野公の管轄下であったが、良忍上人はその菩提寺である修楽寺(明治初年、廃仏毀釈により杭全神社に吸収された)の別院だった香華院において融通念仏会を修したところ、参集の人びとがあとを絶たない盛況ぶりであった。そこで鳥羽上皇はここを念仏勧進の根本道場と勅した。()

本堂
本堂
毘沙門堂
毘沙門堂

(左上)本堂 総(けやき)造り銅板葺き。東西約50m、南北約40m。1938年(昭和13年)再建の大阪府下最大の木造建築。2003年(平成15年)に国の登録有形文化財指定。()

山門
山門
山門扁額
山門扁額

(上)山門 1706年、第46世大通上人の建立。「大源山(だいげんざん)」の扁額は後西天皇の皇女で京都宝鏡寺の本覚院宮徳厳尼の真筆。大通上人はこの門を融通無碍門(ゆうずうむげもん)と命名した。()

霊明殿
霊明殿

(上)霊明殿 創建は1156年、第三世明応上人の時と伝わる。鳥羽上皇の霊牌と御真影を祀る。その後、寛永年中(1624〜1643年)第38世法覚上人は権現造りの社殿を再建し徳川家康公を合祀した。家康は第36世道和上人に帰依したという。
今日まで修理を繰り返しているが、正門と回廊は江戸時代の遺構を残している。2008年(平成20年)大修復を施し、新たに後小松天皇を合祀した。後小松天皇は融通念佛勧進帳の序文(重文)をしたため広く念仏を弘めた。()



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