四天王寺の御朱印
新西国霊場 御朱印

新西国霊場
西国薬師四十九霊場 御朱印

西国薬師四十九霊場
法然上人二十五霊場 御朱印

法然上人二十五霊場
摂津三十三ヶ所観音霊場 御朱印

摂津三十三ヶ所観音霊場
庚申堂 御朱印

庚申堂
近畿三十六不動尊霊場 御朱印

近畿三十六不動尊霊場
摂津国八十八ヶ所霊場 御朱印

摂津国八十八ヶ所霊場

大阪の神社・仏閣
四天王寺
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住所/〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1丁目11-18
TEL/06−6771−0066
アクセス
★電車/地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘」駅下車 徒歩約5分
    JR・地下鉄「天王寺」駅、近鉄「大阪阿部野橋」駅下車 徒歩約15分
★車/阪神高速「夕陽丘」ランプ、「天王寺」ランプから約3分
駐車場/約50台 1時間まで/500円、30分毎/250円
拝観料/無料
  ただし中心伽藍・宝物館・極楽浄土の庭の3ヶ所は有料

石ノ鳥居
石ノ鳥居
聖徳太子影向引導の鐘
聖徳太子影向引導の鐘

今から1400年以上も前、推古天皇元年(593年)に聖徳太子により建立された。
「日本書紀」によれば、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り 「もしこの戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されたと伝えられる。()

西大門(極楽門)
西大門(極楽門)
五重塔と中門(仁王門)
五重塔と中門(仁王門)

伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つである。()

金堂・西重門・五重塔
金堂・西重門・五重塔
五重塔
五重塔

東大門
東大門
乾門
乾門

平安時代は伝教大師最澄の興した天台宗、弘法大師空海の興した真言宗の二大宗派に深く関わるようになり、特に強いつながりを天台宗と持つこととなり、戦前までは長らく天台宗であった。しかし、太子創建の寺であることから、昭和24年に独立し和宗を創立した。()

太子奥殿
太子奥殿
太子殿
太子殿

金堂と五重塔
金堂と五重塔
六時堂と石舞台
六時堂と石舞台

(左上)金堂(手前) 聖徳太子のご本地仏である救世観音を祀る。
西国三十三所観音霊場番外、新西国霊場第1番、摂津三十三ヶ所観音霊場第33番、摂津国八十八ヶ所霊場第25番、神仏霊場大阪2番。
(右上)六時堂(奥) 西国薬師四十九霊場第16番。()

亀井堂
亀井堂
亀井不動尊
亀井不動尊

(左上)亀井堂 戦火で焼失後、1955年(昭和30年)に再建。亀井堂の霊水は金堂の地下より湧く白石玉出の水であり、回向(供養)を済ませた経木を流せば極楽往生が叶うといわれている。
(右上)亀井不動尊 593年創建。1955年(昭和30年)再建。近畿三十六不動尊霊場第1番。本尊は水掛け不動尊。左に子育地蔵尊、右に延命地蔵尊を祀っている。寺伝によれば、聖徳太子が尊いお声に呼び止められ、亀井の井戸を覗かれると、仏法の守護神である不動明王の姿が水面に映っていたため、ここに不動尊を祀られたのが起源とされる。()

元三大師堂
元三大師堂
元三大師堂
元三大師堂

(上)元三大師堂 元三大師を祀るのでこの名が付けられた。
元三大師は第18代天台座主であり、叡山中興の祖と言われている。またおみくじの創始者でもある。()

英霊堂
英霊堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂

(左上)英霊堂 1906年に建立されたときは大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きいとされた大梵鐘(157トン)が釣られていた。鐘は第二次大戦で供出され、戦後、世界の平和を祈り、国のために我が身を捧げた英霊を祀るお堂として、英霊堂と改名された。
(右上)阿弥陀堂 1953年に三重県国束寺(四天王寺末寺)本堂を移築したもの。
法然上人二十五霊場第6番。()

北鐘堂
北鐘堂
布袋堂
布袋堂

(右上)布袋堂 聖徳太子の乳母を祀ったことから四天王寺の布袋尊は乳布袋(乳のおんばさん)と呼ばれる。
婦人が分娩後、乳が出なかったり、出ても少量で搾乳が不十分の者は、宝前に絵馬を奉納して、あんころ餅を供えて立願し、そのお供え物をいただいて食べると乳が多量に出るという。また産婦が乳児を死なせ乳に凝りが出来て困るときは、反対に乳預けの願をかけるとすぐ応験があるという。
大阪七福神の一つ。()

仏足石
仏足石
丸池(鏡の池)
丸池(鏡の池)

(右上)丸池(鏡の池) 如何なる大旱(たいかん)の年でも池の水が涸れる事はないと伝えられ、往古より雨乞いを行うときは、この池の聖水を使って祈祷をしていたという。池の対岸には仏足石と釈迦如来像が祀られ、参拝者はこちら側から西の方角(対岸)を向いて極楽浄土を観想し、池越しに拝むのが古来からの習わしであった。()

弘法大師像
弘法大師像
大師堂
大師堂
親鸞聖人像
親鸞聖人像
亀遊嶋辨天堂
亀遊嶋辨天堂

聖徳太子が四天王寺を建てるにあたって、「四箇院(しかいん)の制」をとったことが『四天王寺縁起』に示されている。
四箇院(しかいん)」とは「帰依渇仰、断悪修善、速証無上、大菩提所」、つまり仏法修行の道場である“敬田院(きょうでんいん)”、病者に薬を施す“施薬院(せやくいん)”、病気の者を収容し、病気を癒す“療病院(りょうびょういん)”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院(ひでんいん)”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺が建てられた。
そして“敬田院(きょうでんいん)”の事業が四天王寺学園に受け継がれている。()

中之門
中之門
四天王寺学園
四天王寺学園

山門
山門
本堂
本堂

(上下)庚申堂(こうしんどう) 四天王寺南大門より南200mのところにあり、日本最初の庚申尊出現の地といわれる。本尊は青面金剛童子(秘仏)。
701年(大宝元年)正月七日庚申の日、豪範僧都(ごうはんそうづ)が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示され、以来、青面金剛童子を祀り、庚申の日及びその前日(宵庚申)に祈れば、必ず一願が叶うと尊崇されている。()

三猿堂
三猿堂
百度石の三猿
百度石の三猿
百度石
百度石

秋季彼岸会
秋分の日と前後3日間の7日間が秋のお彼岸。この間、境内各お堂で先祖供養のおつとめ(追善回向)が行われ、境内には多くの露店が軒を並べる。()

秋季彼岸会(西大門)
秋季彼岸会(西大門)
秋季彼岸会(石ノ鳥居)
秋季彼岸会(石ノ鳥居)
秋季彼岸会(中之門)
秋季彼岸会(中之門)
秋季彼岸会(大黒堂)
秋季彼岸会(大黒堂)
南大門
南大門
銀杏と西大門(極楽門)
銀杏と西大門(極楽門)




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