臨済宗単立の尼門跡寺院。山号は西山。通称「人形の寺」、「百々御所」とも呼ばれる。神仏霊場京都17番。 東側に架けられた「百々橋」には、応仁の乱で西軍の山名宗全と東軍の細川勝元がにらみ合って戦った故事がある。東に茶道の表千家・不審庵と裏千家・今日庵が隣接する。 開山は景愛寺第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳禅尼であり、応安年間(1368〜75)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像を景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置して、名前を改め開山したのが始まりである。この観音像は、伊勢の二見ヶ浦で魚網にかかったものと伝えられ、膝の上に小さな「宝鏡」を持っていることから宝鏡寺の寺名ともなる。 1644年、後水尾天皇の皇女理昌尼王が住持となって以後、相次いで天皇皇女が入寺し、再び朝廷とのゆかり深い尼門跡となる。
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