妙法院の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
妙法院

住所/〒605-0932 京都市東山区妙法院前側町447
TEL/075−561−1744
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅から
     市バス「東山七条」または「馬町」下車徒歩約2分
    京阪「七条」駅より徒歩約10分
駐車場/なし
特別拝観時のみ一般公開 拝観料/800円
 拝観時間/9:00〜16:00
 拝観期間/春又は秋の特定期間(要確認)

山門
山門
石柱門
石柱門

天台宗。神仏霊場京都39番。
山号は南叡山(なんえいざん)。もとは比叡山にあり、天台座主となった快修(かいしゅう)が住した比叡山西塔の本覚院(ほんがくいん)(別名妙法院)に始まる。
1159年、後白河上皇は東山の阿弥陀ケ峰西麓に院の政庁・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を造営し院政を始めた。そして紀州熊野本宮と比叡山の鎮守社・日吉(ひえ)山王のご神体を勧請し、今熊野社(現在の新熊野神社)と新日吉(いまひえ)社(現在の新日吉(いまひえ)神宮)を創建した。このとき快修の弟子の昌雲(しょううん)を、法住寺殿に隣接した蓮華王院(れんげおういん)(三十三(げん)堂)鎮守新日吉(いまひえ)社の検校(けんぎょう)職(別当)に任じた。次いで実全がこれを継いで寺基が確立した。

大玄関
大玄関
庫裡
庫裡

これより、後白河法皇を中興第一世と仰ぎ、昌雲、実全を経て第四世尊性法親王(そんしょうほっしんのう)(後高倉天皇の皇子)が入り、現在の建仁寺北辺一帯に寺域を構えて「綾小路宮」と号した。 その後、1227年に尊性法親王(そんしょうほっしんのう)は天台座主に上任、後醍醐天皇の皇子尊澄(そんちょう)法親王が門主となり、天台座主に任ぜられた。妙法院は、青蓮院(しょうれんいん)(京都市東山区粟田口)、三千院(京都市左京区大原)とともに宮門跡寺院である。その後、応仁の乱の兵火を受けるが、1614年より現在の地に移り、大仏方広寺蓮華王院(れんげおういん)(三十三(げん)堂)、新日吉(いまひえ)社を管領した。 また幕末1863年8月18日、公武合体派に敗れた尊攘派の三条実美(さねとみ)を始めとする勤王の七卿(しちきょう)は、この宸殿に会し、明治維新の契機となる「七卿落ち(しちきょうおち)」の密議をこらした。
飛び地境内になる蓮華王院(れんげおういん)(三十三(げん)堂)は、一千一躰の千手観音をはじめ、風神、雷神、二十八部衆など千数十躰にのぼる諸尊を奉安する日本唯一の千躰観音堂として有名。



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