屋島寺の御朱印と御影
四国八十八ヶ所霊場 御朱印

四国八十八ヶ所霊場
御朱印
四国八十八ヶ所霊場 御影

四国八十八ヶ所霊場
御 影
四国霊場 開創1200年記念 御影

開創1200年記念
御 影

香川の神社・仏閣
屋島寺(やしまじ)
【屋島寺の紹介サイトへ】

住所/〒761-0111 高松市屋島東町1808
TEL/087−841−9418
アクセス
★電車/JR高徳線「屋島」駅または琴電志度線「琴電屋島」駅より
        シャトルバスで「屋島山上」下車 徒歩約3分
     または琴電志度線「琴電屋島」駅より徒歩約1時間
★車/高松自動車道「高松中央」ICより屋島ドライブウェイ経由で約30分
     屋島ドライブウェイ通行料(山上駐車料込み)/630円(約400台)
      営業時間/6:30〜22:00
拝観料/無料
宝物館入館料/500円(9:00〜17:00)
納経時間/7:00〜17:00
●第83番札所 一宮寺(いちのみやじ)から約17km
●第85番札所 八栗寺(やくりじ)まで約7km

仁王門
仁王門
四天門
四天門

真言宗御室派。正しくは南面山(なんめんざん)千光院(せんこういん)屋島寺(やしまじ)という。
本尊は十一面千手観世音菩薩。四国八十八ヶ所第84番札所。()

本堂
本堂
大師堂
大師堂

開基は鑑真(がんじん)和上。朝廷からの要請を受け唐より5度にわたって出航、暴風や難破で失明までもしたが、ようやく753年に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途中、屋島の沖で山頂から瑞光を感得し、屋島の北嶺に伽藍建立の霊地を開創したのが始まり。
のち鑑真和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が精舎を構え、屋島寺と称し初代住職になった。()

千躰堂
千躰堂
三躰堂
三躰堂

815年、弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪れ、北嶺の伽藍を現在地の南に移し、十一面千手観音像を刻み本尊として安置、南面山千光院と号し、蓑山大明神を鎮護の神としたと伝わる。
その後、山岳仏教の霊場として隆盛。鎌倉時代には一時衰退。南北朝時代には大和の西大寺の末寺であった。江戸時代になると高松藩主の生駒家、松平家代々に庇護され再興された。()

一願不動尊
一願不動尊
鐘楼
鐘楼

宝物館には、源平合戦にまつわる数々の宝物や雪舟が描いた滝見観音、徳川家康所有の太刀などの寺宝が収納されている。()

熊野権現社
熊野権現社
宝物館
宝物館

蓑山大明神
蓑山大明神
東大門
東大門

(左上)蓑山大明神 弘法大師が霧深い屋島で道に迷ったとき蓑笠を着た老人に山上まで案内されたという。のちにその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと伝わる。
屋島の太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に数えられている。太三郎狸は屋島寺本尊十一面千手観音の御申狸(おんもうしだぬき)、また数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に大切に祀られ、四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であったと伝えられている。一夫一婦の契も固く、家庭円満、縁結び、水商売の神、子宝授けの神として、全国の信者も多い。()

瑠璃宝の池(血の池)
瑠璃宝の池(血の池)
可正桜
可正桜

(左上)瑠璃宝の池(血の池) 屋島寺伽藍草創のおり弘法大師が「遍昭金剛 、三密行所、当都率天、内院管門」と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池とした。ところが竜神が宝珠を奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名がある。
また源平合戦のとき壇之浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり血の池とも呼ばれるようになった。()



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