叡福寺の御朱印
新西国霊場 御朱印

新西国霊場

大阪の神社・仏閣
叡福寺
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住所/〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子2146
TEL/0721−98−0019
アクセス
★電車/近鉄長野線「喜志」駅または近鉄南大阪線「上ノ太子」駅より
        金剛バス「太子前」バス停下車、徒歩約3分
★車/南阪奈道路「太子」ICから約5分
駐車場/無料(約20台)
拝観料/無料  宝蔵拝観/200円
拝観時間/9:00〜17:00

境内図
境内図
南大門と多宝塔
南大門と多宝塔

山号は磯長山。単立寺院。新西国霊場客番札所、仏塔古寺十八尊霊場第2番札所、神仏霊場大阪16番。
創立は622年聖徳太子の陵墓を守護し永く追福を営むために一堂を構えたのが始まりと伝えられる。その後、聖武天皇の勅願により伽藍が造営されたといわれている。
また621年崩御の聖徳太子の生母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后と翌年聖徳太子と同時期に亡くなった太子夫人膳部大郎女の三人が一所に葬られているところから三骨一廟と呼ばれている。
戦後単立寺院となったが、もとは古義真言宗金剛峯寺の末寺で、かっての郡名や地名にちなんで石川寺、磯長寺などと称されていた。また、聖徳太子の磯長墓を祭祀守護する性格の寺院であるところから太子寺、御廟寺、聖霊院の号もあり、四天王寺法隆寺とならんで太子信仰の中核をなした寺院である。なお一連の太子建立伝説を持つ八尾市大聖勝軍寺の「下の太子」、羽曳野市野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と俗称され親しまれている。()

南大門
南大門
金堂
金堂

(左上)南大門 1574年の兵火で焼かれ、慶長年間に再建。腐朽のため昭和33年再々建築した。左右に金剛力士を安置している。南大門から一直線上に御廟が見える。
(右上)金堂(府指定文化財) 1732年に再建。本尊は高さ90cmの如意輪観音の坐像。聖徳太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づいているという。脇侍は不動明王と愛染明王。()

二天門
二天門
二天門
二天門

(上)二天門 二天が祀られている。1688年、当国の丹南藩主・高木主水正が、回廊・上の御堂・鐘楼などと一緒に寄進したと「古事類苑」に記されている。()

多宝塔
多宝塔
御廟
御廟

(左上)多宝塔(重要文化財) 1652年、江戸の三谷三九郎の再建。本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像。西面に金剛界の大日如来を安置し、4本の柱には四天王の像が描かれている。木割りは太目で近世では正統派に属する塔である。()



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