住所/〒605-0811 京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591 建仁寺山内 TEL/075−561−3216 アクセス★電車/京阪「祇園四条」駅より徒歩で約7分 阪急「河原町」駅より徒歩で約10分 JR京都線「京都」駅より 市バス「東山安井」バス停下車 徒歩約5分、「南座前」より 徒歩約7分 「祇園」より徒歩約10分、「清水道」より徒歩約10分 ★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICから約15分 駐車場/なし拝観料、拝観時間/通常非公開(季節により特別公開あり)
臨済宗建仁寺派の塔頭寺院。建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍(おうりょう)派を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山とする。開山当時は「知足院」と号していたが、龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師の入寂後、室町時代の再建時に三世の文林寿郁(ぶんりんじゅいく)が両足院を創建した。改称に関しては、諸説あるが、一説として、時の天皇・後奈良天皇の実名「知仁」と重なった事が原因とされている。なお、両足院の「両足」とは、仏の別号「両足尊」にちなむという。()
開山 龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師下総国で生誕。建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法曾孫寂庵上昭(じゃくあんじょうしょう)を拝して得度。円覚寺の渡来僧一山一寧(いっさんいちねい)に参禅し、22歳にして入元を決意。在元45年の後、足利尊氏の招きにより帰国する。禅師が帰国する際、惜別に耐え兼ね、追随する形で来日した林浄因(りんじょういん)が日本で初めて饅頭を作った人物であることから「饅頭始祖の寺」として知られる。 禅師は帰国後、建仁寺35世、南禅寺24世、天龍寺6世の住持として活躍し、さらに絶海中津(ぜっかいちゅうしん)、義堂周信(ぎどうしゅうしん)という五山文学の双璧を指導した法誉に対して朝廷から「真源大照禅師」の号を賜る。ちなみに三世の文林寿郁(ぶんりんじゅいく)は林浄因(りんじょういん)の曾孫。()
毘沙門天堂 開門時間:7時頃〜17時頃。この毘沙門天は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏であった。比叡山が織田信長に焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が安全を危惧し、筑前黒田家京都御用達の比喜多養清のところへ疎開させたもの。関ヶ原の合戦では、黒田長政がこの尊像を内兜に収めて奮戦し勝利を収めたといわれている。そのあと黒田家で代々信仰されていたが、1877年(明治10年)ごろ当院に寄進された。毘沙門天堂の狛犬は寅。香炉や灯篭にも寅が浮き彫りされていることから、寅年生まれの人がよくお参りをする。また毎月第二日曜日には手作り市「寅市」が開かれる。()