法住寺の御朱印
御本尊 御朱印

御本尊
御本尊 御朱印

御本尊
後白河院 御朱印

後白河院

京都の神社・仏閣
法住寺(ほうじゅうじ)
【法住寺のサイトへ】

住所/〒605-0941 京都市東山区三十三間堂廻り655
TEL/075−561−4137
アクセス
★電車/JR・近鉄「京都」駅から徒歩約20分
      あるいは京都市バス「三十三間堂前」バス停から徒歩2分
    京阪「七条」駅から徒歩約10分
★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICより約20分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/500円
拝観時間/9:00〜16:00

表門
表門
旧御陵正門
旧御陵正門

天台宗。後白河法皇御所聖蹟。本尊は不動明王像(身代不動尊像)。
989年に右大臣藤原為光が、その夫人と娘の菩提を弔うために建てた。娘は花山天皇の女御であったが8ヶ月でなくなった。天皇は嘆き悲しみ京都山科の元慶寺で出家し法皇になった。
為光は後に正一位太政大臣となり、その創立された法住寺は、祖父の摂関藤原忠平の法性寺の地の北方に当る広大な地域、すなわち北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占め、大そう栄えていたが、1032年に火災にかかり荒廃した。()

本堂
本堂
枯山水
枯山水

1158年に後白河天皇は、法住寺の地を院の御所と定め、上皇となって住んだ。
そして1160年に最も尊崇した日吉(ひえ)山王(滋賀県)、熊野本宮(和歌山県)の神々を法住寺内に勧請、新日吉(いまひえ)社(現在の新日吉(いまひえ)神宮)・今熊野社(現在の新熊野神社)を創建して、新日吉祭小五月会や熊野御幸(紀州三山御幸)前の御精進には必ず御参詣・御参籠したが、上皇の熊野御幸は33回も行われていた。
また平清盛に命じて法住寺殿域内に蓮華王院を造営した。1164年にはその本堂が落成した。三十三間堂の名で有名な一千一体の十一面千手観音像を安置するお堂である。()

書院
書院
弁財天・ダ枳尼天
弁財天・ダ枳尼天

本堂(正月飾り)
本堂(正月飾り)
表門(正月飾り)
表門(正月飾り)

明治維新後、後白河天皇陵が宮内庁所管となったので、御陵と寺域を別にして大興徳院と改め、渋谷より親鸞上人自作の阿弥陀如来像と自刻影像(そば喰い木像)を移したが、1955年(昭和30年)に法住寺の旧号に復した。
本尊の不動明王像(身代り不動尊像)は方除けの像として朝野の信仰を集めたが、後白河天皇は守護仏として崇め、法住寺を復興したのもこの霊験を体験されたからという。
赤穂浪士の大石良雄も義挙の成就を祈願しており、当寺四十七士木像を安置している。()

干支砂文字
干支砂文字
法住寺陵
法住寺陵
養源院・法住寺陵・表門
養源院・法住寺陵・表門

立地は三十三間堂の向かい(東側)で、養源院の南隣にある。また養源院との間には後白河法皇法住寺陵入口がある。()



HOME TOP BACK LINK