洛陽三十三所観音霊場第二十一番札所。浄土宗西山禅林寺派。正しくは大悲山一音院法性寺と号する。 この地は924年藤原忠平が公家恒例被行脚読経の寺として建立した寺院(旧法性寺)があった所である。旧法性寺は、創建後も藤原家の氏寺として栄え、藤原忠通(法性寺入道)の時には、広大な寺域に大伽藍を構え、京洛21ヶ寺の一刹に数えられていた。しかし以後の兵火により堂宇は焼失してしまった。 当寺は、明治維新以後、旧名を継いで再建されたもので、本堂に安置する千手観世音菩薩像(国宝)は、旧法性寺の潅頂堂の本尊と伝えられ、「厄除観世音」の名で知られている。
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