西宮神社の御朱印
御朱印

兵庫の神社・仏閣
西宮神社
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住所/〒662-0974 兵庫県西宮市社家町1-17
TEL/0798−33−0321
アクセス
★電車/阪神電車「西宮」駅から徒歩5分
    JR神戸線「さくら夙川」駅から徒歩8分
    阪急電車「夙川」駅から徒歩15分
★車/阪神高速「西宮」ランプよりすぐ
   あるいは阪神高速「武庫川」ランプより約5分
駐車場/約50台(無料)
拝観料/無料
受付時間/9:00〜16:00

拝殿
拝殿
拝殿神額
拝殿神額

御祭神は、第一殿に蛭児大神(ひるこおおかみ)を祀り、第二殿に天照大御神(あまてらすのおおみかみ)及び明治初年に大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を配祀、第三殿に須佐之男大神(すさのおのおおかみ)を奉斎している。神仏霊場兵庫2番。
天照大御神(あまてらすのおおみかみ)蛭児大神(ひるこおおかみ)須佐之男大神(すさのおのおおかみ)の三神は日本書記によれば兄弟の神と言われ、蛭児大神(ひるこおおかみ)は三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったともいわれている。伊邪那岐(いざなき)伊邪那美(いざなみ)二柱の神は、我が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟(ちぬ)の海へ流した。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は式内社・大国主西神社が西宮であるとのいわれから、明治になって配祀されるようになったと考えられる。()

表大門
表大門
梅宮神社
梅宮神社

本殿は三連春日造(さんれんかすがづくり)という構造で、江戸時代1663年に四代将軍家綱より寄進されたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失、その後1961年(昭和36年)桧皮葺から銅板葺にほぼ元通りに復興された。
通称赤門と呼ばれる表大門は、豊臣秀頼の奉献によるものとされ、桃山建築の遺構を残し、その左右に連なる全長247mに及ぶ大練塀(おおねりべい)とともに重要文化財に指定されている。大練塀(おおねりべい)は室町時代に建造されたものと推定され、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀と称されている。()

南門
南門
南門神額
南門神額

御由緒は、古くは茅渟(ちぬ)の海といわれた大阪湾の神戸・和田岬の沖より出現した御神像を西宮・鳴尾の漁師が祀っていたのが、御神託によりそこから西の方である西宮に遷し祀ったのが起源と伝えられる。
鎮座の年代は不明だが、(えびす)の名は平安時代後期には文献に記載されている。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は漁業の神として信仰されていたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として盛えるようになる。
1872年(明治5年)3月に廣田神社と分離した。()

境内鳥居
境内鳥居
注連縄
注連縄

南宮神社
南宮神社
沖恵美酒神社
沖恵美酒神社

(左上)南宮神社 御祭神は豊玉姫神(とよたまひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)大山咋神(おおやまくいのかみ)葉山姫神(はやまひめのかみ)
廣田神社の摂社で「浜南宮」と呼ばれていた。平安時代には都の貴族が参詣し、「梁塵秘抄」には「濱の南宮は如意や寶珠の玉を持ち」と詠われている。神功皇后が豊津浦で得られたいう廣田神社の宝物「剣珠」はもと南宮に納められていた。
(右上)沖恵美酒(おきのえびす)神社  「あらえびすさま」と崇められ室町時代の文書にたびたび西宮荒夷社鳴動と記されている霊験あらたかな神様。もとは荒戎町に鎮座されていたのを1872年(明治5年)に現在地に遷座した。()

菊花展覧会
菊花展覧会
菊花展覧会
菊花展覧会

拝殿(十日えびす)
拝殿(十日えびす)
本殿(十日えびす)
本殿(十日えびす)

十日えびす 1月9日、10日、11日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑わう。特に10日早暁の大祭終了後の開閉神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれる。()

十日えびす露店
十日えびす露店
十日えびす露店
十日えびす露店

福笹授与所(十日えびす)
福笹授与所(十日えびす)
招福大まぐろ(十日えびす)
招福大まぐろ(十日えびす)

1月9日宵えびすの深夜12時に総ての門が閉ざされ神職は居籠り、午前4時に十日えびす大祭が斎行される。午前6時に表大門が開かれると、門前に待ち構えた数千人の参拝者が走り参りをする。本殿下に到着した一番から三番までの参拝者に福男の認定がされ副賞が授けられる。
11日の残り福までの3日間、奉納された招福大まぐろに賽銭を貼り付け商売繁盛・家内安全を祈る人や、福笹や吉兆の熊手などを手にした人々で終日大賑わいとなる。()

えびす信仰資料展示室
えびす信仰資料展示室
福神
福神




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