奥之院 |
根本大塔 |
金堂 |
金剛峯寺 |
苅萱堂 |
女人堂 |
高野山 |
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住所/〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山132
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女人堂からの石柱門 |
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高野山は真言密教の開祖である弘法大師(空海)によって開かれた霊場。816年弘法大師は嵯峨天皇より高野山を下賜され、真言密教の根本道場を開いた。弘法大師が入定した「奥之院・御廟」を信仰の源泉、「壇上伽藍」を修学の場所として、今も多くの人の信仰を集めている。
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総本山 |
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金剛峰寺 大主殿 |
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中世以前から、高野山は密教の研究や祈祷に専念する学侶方、寺院経営や諸堂の管理をする行人方、全国に布教、勧進する多くの僧の聖方の三派で成っていたが、1872年(明治2年)に三派が合併し、総本山となった。 |
正門 |
(左)鐘楼、(右)正門 |
現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総轄する伝統はそのままここに残され、又、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所がある。 |
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蟠龍庭 |
東門 |
(左上) |
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金堂 |
金堂 |
(上)金堂 高野山一山の総本堂で、年中行事の大半がここで勤修される。本尊と両部曼陀羅を修法する3壇をもつ密教の大堂である。大師私願の堂として造営が進められ、完成後は嵯峨天皇御願の堂とされた。現在の堂は1932年(昭和7年)再建、1934年(昭和9年)落慶、四隅の八供養菩薩と裏堂の壁画は木村武山画伯の筆、両部曼陀羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼陀羅」である。 |
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西塔 |
不動堂 |
(左上) |
東塔 |
根本大塔 |
六角経蔵 |
(左上) |
大会堂 |
愛染堂 |
(左上) |
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三昧堂 |
勧学院 |
(左上) |
御影堂 |
(左)孔雀堂(右)准胝堂 |
(左上) |
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山王院 |
山王院 |
(上) |
御社 |
大塔の鐘 |
(左上) |
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六時の鐘 |
蛇腹道 |
(左上)六時の鐘 伽藍入口の高い石垣にある鐘楼。1618年、福島正則が父母の菩提を弔うために建立した。1640年に焼失し、息子の正利が志を継いで再建。午前6時から午後10時まで偶数時に、山内に時刻を知らせている。
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中門(2015年) |
中門跡(2012年) |
(上)中門 高野山の総門である大門に対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれる。819年の創建。焼失、再建を繰り返し1843年以来再建されず礎石だけが露出した中門跡として残っていたが、2015年の高野山開創1200年記念大法会を期して再建される。地中には焼失前の礎石が埋まっている。 |
持国天 |
多聞天 |
増長天 |
廣目天 |
奥之院
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一の橋 |
豊臣家墓所碑 |
結城(松平)秀康及び同母霊屋 |
水向地蔵 |
(右上)水向地蔵 御廟橋のすぐ手前、玉川を背にして地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩が並ぶ。御供所で求めた経木(水向塔婆)をここで奉納し、水を手向け、亡くなられた方の冥福を祈る。 |
参道 |
御廟橋 |
法然上人御廟所碑 |
(中央上)御廟橋 ここから先は御廟の霊域となり写真撮影は禁止。この橋の板石は36枚あり、橋全体を1枚と考え、金剛界の三十七尊を表す。板石の裏にはそれぞれの仏様の象徴、種字が梵字で刻まれている。 |
燈籠堂 |
奥の院前バス停からの参道 |
(左上) |
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護摩堂 |
御供所 |
(右上) |
吽形像 |
大門 |
阿形像 |
(上)大門 高野山の総門。開創当時は現在地より約500m下の |
苅萱堂 |
(上) |
女人堂 |
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(上)女人堂 高野山では明治の初めまで女人禁制が守られており女性は山内に入れなかった。そのため主な七つの参道(高野七口)の入口には女性のための籠り堂として女人堂があった。現在は北西の入口にある不動坂口にのみ女人堂が残っているが、他の入口にも女人堂跡が残っている。 |
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小杉明神社 |
お竹地蔵 |