「洛陽三十三所観音霊場」とは広範囲で巡拝が困難な西国三十三所観音霊場を京都に写して開創されたもの。「洛陽」とは、もともとは平安京の左京のことであったが、中世からは京都のこと自体を「洛陽」や「京洛」と呼ぶようになった。ちなみに右京のことは「長安」と呼んでいたが、当時は早くに衰退した。
起源は、平安時代末期に後白河法皇によって開創されたと伝わる。室町時代には革堂行願寺に始まり、北野天満宮で結願となる三十三所の札所が定着していたが、応仁の乱などで衰退した。江戸時代には霊元天皇によって中興されたが、また明治維新後廃仏毀釈の嵐が各社寺を襲い、札所の退転などもあり再び衰退した。そして2005年、新たに平成の復興として清水寺で大法要が行われ、現在の三十三所札所に至っている。
詳しくは ⇒「平成洛陽三十三所観音霊場会」の公式サイトまで
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