善光寺の御朱印
本堂 御朱印

本堂
大勧進 御朱印

大勧進
大勧進 御朱印

大勧進

長野の神社・仏閣
善光寺
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住所/〒380-0851 長野市元善町491
TEL/026−234−3591
アクセス
★電車/長野新幹線、信越本線、飯山線「長野」駅から徒歩約30分
        あるいはアルピコ交通「善光寺大門」バス停から徒歩約5分
     長野電鉄長野線「善光寺下」駅より徒歩約20分
★車/上信越自動車道「長野」ICまたは「須坂長野東」ICより約40分
駐車場/約300台
   (2時間まで600円 1時間ごとに300円増し)
入山料/無料(境内および本堂外陣は自由)
拝観料/1200円(共通券 三堂・史料館参拝券)
    600円(本堂内陣)、500円(山門)、300円(経蔵)
拝観時間/
 本堂
(内陣参拝・お戒壇めぐり)
山門・経蔵
善光寺史料館
境内
1〜2月お朝事の1時間前〜16:00通年
9:00〜
16:00
終日
3月お朝事の1時間前〜16:15
4〜10月お朝事の1時間前〜16:30
11月お朝事の1時間前〜16:15
12月お朝事の1時間前〜16:00

お朝事の始まりの時間はこちら→【https://www.zenkoji.jp/kuyo/schedule/】

善光寺自体は無宗派。しかし寺内には天台宗の大勧進と浄土宗の大本願、さらに39の院坊(天台宗25院、浄土宗14坊)があり、これらの寺院の僧侶が共同で本堂を護っている。
御本尊は「一光三尊阿弥陀如来像」(善光寺如来)で、三国伝来の生身の阿弥陀様として尊崇を集める秘仏。「一光三尊」とは、一つの光背に三尊(中央に阿弥陀如来、その両脇に観世音菩薩と勢至菩薩)を配する形式で、特に善光寺如来は三尊とも立像であることが特徴。

(奥)本堂、(手前)山門
(奥)本堂、(手前)山門
扁額「鳩字の額」
扁額「鳩字の額」

『善光寺縁起』によれば、「善光寺」の名は、御本尊を信濃の地に祀った本田善光に由来し、その本田善光は阿弥陀如来様と前世からの縁で結ばれていたとされている。この御本尊はまず印度で一光三尊仏になり、百済を経て日本に伝わり、伝来当初は廃仏派の物部氏により一度は堀に捨てられたが、仏縁にて本田善光に出会うことになる。まずは自宅に安置したが、642年現在の地に遷座し、644年に皇極天皇の勅願にて「善光寺」の伽藍が創建されたと伝えられる。
戦国時代1555年から約半世紀、御本尊は諸国を流転することとなる。まずは武田信玄の手で甲府に(甲斐善光寺の始まり)、武田氏滅亡後は織田信忠の手で岐阜に(岐阜善光寺の始まり)、それから尾張清洲、浜松を経て一旦は甲府に戻ったが、再び豊臣秀吉の手で京都の方広寺に、しかし御本尊が京都に入ってから秀吉の健康がすぐれなくなってきた。御本尊を移した武田氏、織田氏のように秀吉の病気も御本尊のたたりであるという噂が広まった。ついに秀吉が立つこともできなくなった死の直前、その枕元に御本尊が立たれ、信濃に帰りたい旨をお告げになったといわれる。そして1598年にわかに御本尊は信濃へ送り返されることになった。

本堂
本堂
大香炉
大香炉

(左上)本堂 江戸時代を代表する仏教建築として国宝に指定されている。
1707年再建。間口約24m、奥行約54m、高さ約26mの国内屈指の木造建築で、T字形の鐘を叩く撞木に似た「撞木造り」という構造を採用している。本堂の最奥が内々陣にあたり、そこでご本尊を祀っている。
(右上)大香炉 現在は1956年製作のもの。以前のものは戦時中の金属供出に出された。大きな香炉を3組の獅子が支え、中央には善光寺の定紋である立葵が入っている。香炉から出る煙を身体にこすりつければ、無病息災、病気平癒のご利益があるとされている。

(奥)山門 (左手前)授与品所
(奥)山門 (左手前)授与品所
山門
山門

(上)山門(三門) 重要文化財。間口・高さ約20m、奥行約8m、二層入母屋造りの門で、1750年に建立された。屋根はさわらの板の栩葺で、山門上層には仏間があり、文殊菩薩と四天王が安置されている。

仁王門
仁王門
仁王像
仁王像

(上)仁王門 善光寺大地震などで焼失し、1918年に再建された。間口約13m、奥行約7m、高さ約14m、屋根は銅瓦葺で、門には伏見宮貞愛親王筆の「定額山」の額が掲げられている。仁王像とその背後にある三宝荒神・三面大黒天は高村光雲・米原雲海の作。仁王像は、向かって左に「阿形」、右に「吽形」が位置している。

仲見世通り (奥)仁王門
仲見世通り (奥)仁王門
仲見世通り (奥)山門
仲見世通り (奥)山門

(上)仲見世通り かって善光寺如来堂(本堂)があった場所で、江戸時代に火災を避けるため現在の地に本堂が移転された。その跡地は「堂庭」と呼ばれ、商人たちが露店を出すようになった。明治時代(1871年)には正式に常設店が認められ現在の通りの原型ができた。ここには土産店、仏具店、飲食店が並び、善光寺を訪れた人でいつもにぎわっている。

大勧進
大勧進
六地蔵
六地蔵

(左上)大勧進 大勧進は天台宗大本山で善光寺25ヶ院の本坊である。住職は貫主と呼ばれ、大本願上人とともに善光寺住職を兼ねている。貫主は毎朝善光寺本堂で行われるお食事(お勤め)に出仕され、代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっている。
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(右上)六地蔵 六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で衆生を救ってくれる菩薩。1759年、浅草天王町祐昌が願主となって造立された。戦時中には金属供出され、その後1954年に再興された。



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