吉田神社の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
吉田神社
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住所/〒606-8311 京都市左京区吉田神楽岡町30
TEL/075−771−3788
アクセス
★電車/京阪電車「出町柳駅」より徒歩約20分
    JR京都線「京都」駅、阪急「河原町」駅、
     京阪「出町柳」駅、地下鉄「今出川」駅より
      京都市バス「京大正門前」バス停より徒歩約5分
★車/名神「京都東」ICより約20分
駐車場/約20台(無料)
拝観料/無料  境内自由

一ノ鳥居
一ノ鳥居
二ノ鳥居
二ノ鳥居

御祭神は、第一殿 建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、第二殿 伊波比主命(いはいぬしのみこと)、第三殿 天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿 比売神(ひめがみ)
神仏霊場京都30番。()

境内
境内
神鹿
神鹿

清和天皇の御代859年4月に中納言藤原山陰(ふじわらのやまかげ)春日大社の四神を平安京の鎮守神として吉田山に勧請し創建した。この鎮座地である吉田山は、古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ、東山三十六峰の12峰目に数えられている。
以来、朝廷の崇敬極めて厚く、991年には朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の社「二十二社」の前身である十九社奉幣に列する。()

三ノ鳥居
三ノ鳥居
拝殿
拝殿

菓祖社鳥居
菓祖社鳥居
北参道鳥居
北参道鳥居

次いで室町時代の中頃、神官の吉田(卜部(うらべ)兼倶(かねとも)が吉田神道(唯一神道)を大成し、山上に斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう)を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。
本殿は慶安年間(1648〜1651年)の建築で、朱塗春日造である。境内には、大元宮(だいげんぐう)のほか、地域の氏神・雷除神として有名な神楽岡(かぐらおか)社、吉田兼倶(かねとも)を祀る神龍社、料理の神を祀る山陰(やまかげ)神社、お菓子の神を祀る菓祖(かそ)神社など多彩な末社、摂社が多い。()

今宮社
今宮社
竹中稲荷社鳥居
竹中稲荷社鳥居

大元宮
大元宮
大元宮
大元宮

(上)斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう) 吉田神社末社。天神地祇八百万神(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)を祀る大元宮(だいげんぐう)を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を奉祀する。
もとは、神職の卜部(うらべ)(吉田)家邸内にあったものを1484年に吉田神道を創設した吉田兼倶(かねとも)がここに移築したもので、吉田神道の根本殿堂とした。1590年には天皇守護のため宮中の神祇官に祀られていた八神殿(はっしんでん)が社内後方に遷され、1609年から1871年まで神祇官代としてその儀式を執行した。
本殿(重要文化財)は1601年の建築で、平面上八角形に六角形の後房(こうぼう)を付した珍しい形をしている。屋根は入母屋造で茅葺、棟には千木(ちぎ)をあげ、中央には露盤宝珠(ろばんほうしゅ)、前後には勝男木(かつおぎ)を置く特殊な構造である。この形式は密教・儒教・陰陽道・道教などの諸宗教、諸思想を統合しようとした「吉田神道」の理想を形に表したものといわれる。全国のあらゆる神々を祀るため、当社に参詣すると全国の神社に詣でることと同じ効験があるとされる。
毎年節分の日を中心に前後三日間行われる「節分祭」は、疫神祭(えきじんさい)追儺式(ついなしき)火炉祭(かろさい)の三部に分かれ、追儺式(ついなしき)は「鬼やらい」として特に有名で、毎年多数の参詣客で賑わう。()

山陰神社
山陰神社
山陰神社
山陰神社

(上)山陰(やまかげ)神社 御祭神は藤原山陰(ふじわらのやまかげ)で、相殿に恵比須神を祀る。
藤原山陰(ふじわらのやまかげ)は吉田神社を創建し、またわが国においてあらゆる食物を調理調味づけた始祖であり、古来包丁の祖、料理飲食の祖神にして崇敬厚き神である。1957年(昭和32年)吉田神社御鎮座千百年大祭を機に創建された。()

如意ヶ嶽(大文字山)
如意ヶ嶽(大文字山)
吉田山三角点
吉田山三角点



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