光明寺のご朱印
法然上人二十五霊場 ご朱印

法然上人二十五霊場
洛西観音霊場 ご朱印

洛西観音霊場
西山国師遺跡霊場 ご朱印

西山国師遺跡霊場

京都の神社・仏閣
光明寺
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住所/〒617-0811 京都府長岡京市粟生西条丿内26-1
TEL/075−955−0002
アクセス
★電車/阪急京都線「長岡天神」駅、あるいはJR東海道線「長岡京」駅より
       阪急バス「光明寺」下車 徒歩5分
★車/名神「京都南」ICから約16分、「大山崎」ICから約12分
駐車場/50台(無料、紅葉時期は500円)
入山料/無料(紅葉時期は500円)
入山時間/9:00〜17:00

総門
総門
阿弥陀堂
阿弥陀堂

西山浄土宗の総本山。山号は報国山。
法然上人二十五霊場第16番、京都洛西観音霊場第7番、西山国師遺跡霊場第13番札所。
隣接する京都西山短期大学は光明寺の学寮が発祥。
1198年、法然上人の弟子である蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)の開基とされる。法然上人が念仏の教えを最初に説いた「浄土門根元地」と伝えられる。
また京都市西京区大原野の「善峯寺」、長岡京市浄土谷の「楊谷寺」とともに京都・西山三山と言われている。

総門と浄土門根元地石碑
総門と浄土門根元地石碑

法然上人が24歳の時、奈良へ向かうため叡山を降りた際、この粟生野で村役の高橋茂右衛門宅に泊まった。茂右衛門夫婦は上人の真剣な求法の気持ちを聞き、真の教えを見出した際はまず最初に教えを説いて欲しいと願った。その後、浄土宗を開いた上人は約束通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説いた。この故事により、1563年正親町天皇から「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元之地ト謂イツベシ」という綸旨を賜り、これがこの石碑のいわれである。()

寺号碑
寺号碑
法然上人像・御影堂
法然上人像・御影堂
鐘楼
鐘楼

1185年、源平合戦で有名な熊谷次郎直実がこれまでの積もる罪業を償い極楽往生の道を求め法然上人を訪ねた。そこで「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」という教えに直ちに剃髪し、法力房蓮生(れんせい)と名付けられ、修行に励んだ。そののち1198年、上人ゆかりの粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して開山第一世と仰ぎ、自らは二世となり、「念仏三昧院」とした。これが光明寺の始まりである。()

勅使門
勅使門
玄関
玄関

1212年1月25日第三世幸阿上人の時、法然上人が亡くなった。晩年は奈良・叡山より迫害を受け、滅後の1227年には叡山の衆徒が大谷の墳墓を暴いて遺骸を鴨川に流そうと企てたので、遺弟達は秘かに遺骸の石棺を嵯峨に移した。すると翌年のある夜、上人の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れたので、遺骸をこの粟生野の地で荼毘に付し寺の裏山に芳骨を納め御廟堂を建てた。この奇瑞にちなんで以後「念仏三昧院」は「光明寺」と称されるようになった。()

御影堂
御影堂
御影堂
御影堂

(上下)御影堂(みえどう) 光明寺の中心的な建物。応仁の乱をはじめ、何度も火災にあい、現在の建物は1754年に建立されたもの。中には法然上人が自ら作った「張子の御影」が祀ってある。
大きな行事のあるときは、建物の軒まわりに五色幕が張り巡らされる。()

御影堂
御影堂
御影堂
御影堂
御影堂
御影堂

春の表参道
春の表参道
冬の表参道
冬の表参道

(上)女人坂 総門を入り、左手の道は秋になると鮮やかな紅葉のトンネルになる通称「紅葉参道」。総門の正面から本堂に向かっている坂道が表参道である。この参道は女性でもお年寄りでも楽に登れるように傾斜がゆるやかなので、通称「女人坂」として知られている。()