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崇福寺 |
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住所/〒502-0817 岐阜市長良福光2403-1 |
![]() 織田信長公霊廟所石碑 |
![]() 山門 |
![]() 寺号石碑 |
臨済宗妙心寺派。山号は神護山。 |
![]() 山門 |
![]() 山門内石庭 |
独秀乾才禅師は崇福寺住持の後、大徳寺第66世となり、妙心寺や瑞龍寺の住職にもなった。二世は仁岫宋寿で、後に妙心寺27世となり、土岐政房に請せられ、南泉寺の開山にもなった。
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![]() 大方玄関 |
![]() 鐘楼 |
(右上)稲葉一鉄寄贈の梵鐘 西美濃の豪族、稲葉通貞の末子で二世仁岫宋寿のもとで修行していた。しかし1525年牧田の戦いで父子6人が討死したので、11歳のとき還俗し、家を継ぎ土岐頼芸に仕えた。土岐氏滅亡後、斎藤氏に仕え、曽根城(大垣市)を居城とし、西美濃三人衆(稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就)の一人として活躍。その後、信長、秀吉などにも仕えた。 |
![]() 中門 |
![]() 土塀 |
関白一条兼良寄贈の中門・土塀 利安の兄、利藤は一条兼良が美濃に下向する度歓待し、その嗣子利国は兼良の娘を室とした。この室が後の利貞尼であり、大本山妙心寺の寺域のかなりの部分を寄進している。法泉寺でなくなり、二世仁岫宋寿和尚が導師をつとめている。 |
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![]() 石碑 |
![]() 位牌堂 |
織田信長公父子廟 本堂裏にあり、墓の高さは139cm、幅39cm、厚さ30cm、位牌形の石碑で縦に両分して、父子の法名を左右に並べて刻んである。 |
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![]() 本堂 |
![]() 本堂前庭 石庭 |
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