三井寺のご朱印
西国三十三所 ご朱印

西国三十三所
(観音堂)
びわ湖百八霊場 ご朱印

びわ湖百八霊場
(観音堂)
金堂 ご朱印

金堂
釈迦堂 ご朱印

釈迦堂
湖国十一面観音霊場(微妙寺) ご朱印

湖国十一面観音霊場
(微妙寺)
西国薬師四十九霊場(水観寺) ご朱印

西国薬師四十九霊場
(水観寺)

滋賀の神社・仏閣
三井寺
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住所/〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246
TEL/077−522−2238
アクセス
★電車/京阪石山坂本線「三井寺」駅より徒歩10分
       または「別所」駅より徒歩12分
     JR琵琶湖線「大津」駅またはJR湖西線「大津京」駅より、
       京阪バス「三井寺」下車すぐ
★車/名神「大津」ICより湖岸道路経由約10分
駐車場/500円(350台)
拝観料/500円
拝観時間/8:00〜17:00

仁王門提灯
仁王門提灯
総門
総門

天台寺門宗総本山。正式名称は長等山園城寺(おんじょうじ)
近江大津京ゆかりの古刹。667年天智天皇は飛鳥より近江に都を移した。672年大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子である大友与多王は父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺(おんじょうじ)の始まりとされている。勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか5年で廃都となった。
神仏霊場滋賀15番、西国三十三所観音霊場第14番札所、近江西国観音霊場第5番札所(観音堂)、湖国十一面観音霊場第1番札所(微妙寺)、西国薬師四十九霊場第48番札所(水観寺)、びわ湖百八霊場第6番札所(湖西6番札所)。()

仁王門
仁王門
釈迦堂
釈迦堂

(左上)仁王門 重要文化財。1452年の建立。表門として1601年に徳川家康より甲賀の常楽寺より移築、寄進された。
(右上)釈迦堂 重要文化財。室町時代初期の建築で、中世寺院の食堂(じきどう)の様式を伝える。本尊には清涼寺式釈迦如来をまつる。()

金堂
金堂
閼伽井屋
閼伽井屋

(左上)金堂(本堂) 国宝。本尊の弥勒菩薩は天智天皇が信仰されていた霊像。現在の建物は豊臣秀吉の北政所により1599年に再建されたもの。桃山時代を代表する名建築。
(右上)閼伽井屋 重要文化財。金堂西側にある。内部では三井寺の由来となる霊泉が涌く。これは天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に御産湯に用いられた霊泉があるので「御井の寺」と呼ばれていたものを後に智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来する。()

鐘楼
鐘楼
一切経蔵
一切経蔵

(左上)鐘楼 1602年の再建。梵鐘は近江八景「三井の晩鐘」で知られる。重要文化財。宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三銘鐘に数えられ、1996年環境庁より「日本の音風景百選」にも認定されている。
この鐘は1602年古鐘「弁慶の引き摺り鐘」の跡継ぎとして鋳造されたもの。目方は六百貫(2250kg)。除夜の鐘の百八煩悩に因んで、鐘の上部には乳といわれる百八箇の突起がある。
(右上)一切経蔵 重要文化財。室町時代初期の建築で、1602年毛利輝元により山口県国清寺より移築、寄進された。堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵がある(左下)。()

八角輪蔵
八角輪蔵
弁慶鐘
弁慶鐘
三重塔
三重塔

(真中上)弁慶鐘 重要文化財。奈良時代の梵鐘。俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰ったと伝えられる。また中世の「山寺両門の争い」を象徴する「弁慶の引き摺り鐘」伝説で知られる。
(右上)三重塔 1601年徳川家康により寄進された。もとは奈良県・比蘇寺の塔で、室町初期の建築。()

霊鐘堂
霊鐘堂
弁慶の汁鍋
弁慶の汁鍋
三井寺鐘みくじ
三井寺鐘みくじ
毘沙門堂
毘沙門堂

唐院
唐院
長日護摩堂、灌頂堂
長日護摩堂、灌頂堂

(左上)唐院 重要文化財。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により園城寺は天台別院として中興される。唐院は智証大師の廟所であり、名は智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来する。
園城寺は天台別院として中興されてから、東大寺興福寺延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、南都北嶺の一翼を担ってきた。智証大師円珍和尚の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、993年、円珍門下は比叡山を下り一斉に園城寺に入った。この時から延暦寺を山門、園城寺を寺門と称し天台宗は二分された。()

観音堂
観音堂
観音堂
観音堂

(上)観音堂 西国三十三所観音霊場の第十四番礼所。本尊は如意輪観音。現在の建物は1689年に再建されたもの。
観音堂はもと長等山中の「華の谷」と呼ばれる場所にあったが、観音信仰の場としてお参りが困難であったことと境内が女人結界という制約があったことより1481年に現在の地に移った。
下の「観月舞台」「百体堂」「鐘楼」などと、観音堂を中心とする札所伽藍を構成する。()

観月舞台
観月舞台
鐘楼と百体堂
鐘楼と百体堂

絵馬堂
絵馬堂
手水屋
手水屋
水観寺
水観寺
微妙寺
微妙寺

(左上)水観寺 三井寺の五別所のひとつで現地に移築したもの。本尊に薬師如来をまつり、現在は西国薬師四十九霊場の第四十八番札所となっている。建物は1655年の建立。
(右上)微妙寺 三井寺の五別所のひとつで現地に移築したもの。本尊は十一面観音(重文・平安初期)で、現在は湖国十一面観音霊場の第一番札所となっている。()