宝厳寺の御朱印
西国三十三所 御朱印

西国三十三所

滋賀の神社・仏閣
宝厳寺
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住所/〒526-0124 滋賀県長浜市早崎町1664-1
TEL/0749−63−4410
アクセス/長浜・彦根・今津の各港より汽船約25分〜40分
★長浜港まで/JR北陸線「長浜」駅から徒歩約10分
        名神「長浜」ICより約15分 駐車場あり
★彦根港まで/JR琵琶湖線「彦根」駅からシャトルバスで約10分
        名神「彦根」ICより約10分 駐車場あり
★今津港まで/JR湖西線「近江今津」駅から徒歩約5分
        名神「京都東」ICより約70分 駐車場あり
入山料/無料(入島料400円、宝物殿入館料300円)
入山時間/9:30〜16:30(船の運航時間)

宝厳寺、都久夫須麻神社鳥居
宝厳寺、都久夫須麻神社鳥居
三重塔、宝物殿、観音堂
三重塔、宝物殿、観音堂

真言宗豊山派。西国三十三所観音霊場第30番札所、神仏霊場滋賀6番。山号は巌金山(がんこんさん)。724年聖武天皇勅願、開基は行基。
聖武天皇は夢枕に立った天照皇大神のお告げに従い、行基を勅使としてつかわし、行基は早速弁才天像(大弁才天)を彫刻しご本尊として本堂に安置し、翌年には観音堂を建立し千手観音像を安置した。()

本堂(弁才天堂)
本堂(弁才天堂)
納経所
納経所

(左上)本堂 1942年再建。本尊大弁才天像を祀る。日本三弁才天の一つ(他は江ノ島弁天(神奈川県藤沢市)、宮島弁天(広島県厳島))。
古来、現在の都久夫須麻神社本殿を本堂としていたが、神仏分離令により本堂の建物を神社に引き渡すことで廃寺は免れた。しかし本尊は本堂のないまま仮安置の状態であった。()

三重塔
三重塔
唐門・観音堂
唐門・観音堂

(左上)三重塔 1484年建立されたが、江戸時代初頭に落雷で焼失。2000年再建。
(右上下)唐門・観音堂 唐門は国宝。豊臣秀吉の遺命にしたがって秀頼が京都東山の豊国廟から移築したもの。唐破風は桃山時代を象徴する造り。玄関のような姿で建ち、門を入るとそのまま観音堂につながっている。
観音堂には千手観音が安置されている。()

モチノ木
モチノ木
唐門
唐門

(左上)モチノ木 樹齢約400年。伏見城から都久夫須麻神社本殿等を移築した際、片桐且元が自ら植えたとされている。()

船廊下
船廊下
船廊下
船廊下

(上)船廊下 千手観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊。豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建てたとされている。(幅約1.8m、長さ約30m)()

瑞祥水
瑞祥水
竹生島流棒術発祥之地碑
竹生島流棒術発祥之地碑

(左上)瑞祥水(ずいしょうすい) 本尊大弁才天のお告げにより2002年に掘られた霊泉。川鵜の被害により島の保水能力が低下し、湧水も枯れ飲料水の確保が困難という状況の中、約1年の工期をかけ深さ230m(湖底下約130m)よりお告げ通り水が出たのであった。
(右上)竹生島流棒術 摂津の難波平治光閑(なんばへじみつのり)が、竹生島の弁才天より長刀一流を夢想奉得し源平合戦に出陣、戦の最中に長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらもその残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。これより棒術を編出し竹生島弁才天の冥恩であるとして竹生島流棒術と名付けた。
現在も宝厳寺より代々宗家に対し、竹生島流棒術の正統な宗家であるとして認証状が発行されている。()

竹生島
琵琶湖の北部に位置し、周囲2km、面積0.14kmの島。全島が花崗岩の一枚岩からなる。琵琶湖八景のひとつ。
島の名前は「神の斎く(いつく)住居(すまい)」を意味し、その中の「つくすまい」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になった。
かつては神仏一体の思想で発展してきたが、明治時代の神仏分離令によって、弁才天を本尊とする「宝厳寺」と浅井姫命を祀る「都久夫須麻神社」に分かれる。()

琵琶湖八景碑・宝厳寺、都久夫須麻神社鳥居と石段
琵琶湖八景碑・宝厳寺
都久夫須麻神社鳥居と石段
竹生島港と宝厳寺、都久夫須麻神社
竹生島港と宝厳寺、都久夫須麻神社

川鵜による糞害も深刻。人がいる場所は島の南側に限られ、夜間は無人。特に島北部は終日無人ゆえ川鵜の大規模なコロニーが形成されている。滋賀県、長浜市は営巣妨害などの対策に乗り出し、また駆除も行われている。()

竹生島
竹生島
今津港
今津港



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