元興寺のご朱印
ご朱印 西国薬師四十九霊場 ご朱印

西国薬師四十九霊場

奈良の神社・仏閣
元興寺(がんごうじ)
【元興寺のサイトへ】

住所/〒630-8392 奈良市中院町11
TEL/0742−23−1377
アクセス
★電車/近鉄「奈良」駅下車 徒歩約12分
      あるいは奈良交通バス「福智院町」バス停下車 徒歩約5分
     JR「奈良」駅下車 徒歩約20分
      あるいは奈良交通バス「田中町」バス停下車 徒歩約5分
★車/第二阪奈道路「宝来」IC、京奈和道「木津」ICより10〜15分
駐車場/約12台(無料)
拝観料/400円(秋季特別展期間中 600円)
拝観時間/9:00〜17:00(入門16:30まで)

世界遺産の碑
世界遺産の碑

真言律宗。南都七大寺の一つに数えられる寺院。
西大寺の末寺。西国薬師四十九霊場第5番札所。
1998年12月ユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつとして登録された。
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのがはじまりである。
飛鳥寺→法興寺→飛鳥大寺→元興寺と名称及び性格を変えてきた。
開基は蘇我氏の氏寺としては蘇我稲目であり、蘇我馬子を本願とする。
飛鳥大寺としては推古天皇勅願、聖徳太子創建と称す。
平城移建に際しては元正天皇、聖武天皇勅願と伝えられる。
極楽坊としては興福寺大乘院門跡孝覚大僧正を中興開基とする。()

東門
東門
極楽堂
極楽堂

元興寺の歴史は、藤原・奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷の管理下にある三宝常住の官寺であった。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺東大寺の支配下に組み込まれた。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散し、その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代に、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされた。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出した。
明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化したが、1942年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興された。
(左上)東門 鎌倉時代の四脚門。1411年、東大寺西南院にあった門を元興寺の極楽坊正門として移築された。この東門設置により極楽坊本堂を中心とする一画が、元興寺旧伽藍から独立した中世寺院として再生したことが表されている。
(右上)極楽坊本堂 国宝。極楽堂または曼荼羅堂とも呼ばれる。僧坊の一部であり、浄土曼荼羅を本尊とし寄棟造に大改築されたもの。西流れの屋根に見る行基葺古瓦は前身の飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。

浮図田と禅室
浮図田と禅室
浮図田と小子坊
浮図田と小子坊

(左上)禅室 国宝。念仏道場。建築様式としては鎌倉時代の大仏様を示しているが、構造材は奈良時代以前の古材が多く再利用されている。本堂と同様に南流れの屋根の一部に行基葺古瓦が残っている。
(右上)小子坊 北厨房あるいは台所。()

浮図田
浮図田
講堂跡礎石
講堂跡礎石

(左上)浮図田(ふとでん) 寺内及び周辺地域から集まった2500余基の石塔、石仏類で、総称して浮図と言う。新たに田んぼの稲のように整備されたもの。主に鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。浄土往生を願って、極楽坊周辺に造立した供養仏塔である。
(右上)講堂跡礎石 1998年に発掘されたもの。礎石の石材は三笠安山岩で、通称カナンボ石と呼ばれる硬質の自然石を利用している。

かえる石
かえる石
北門
北門

(左上)かえる石 江戸時代の奇石を集めた「雲根志」(日本で最初の石の専門書)に載っている大阪城の蛙石。河内の川べりにあった殺生石だったようだが、後に秀吉が気に入って大阪城に運び込まれたと言われている。大阪城にあった頃は堀に身を投げた人も必ずこの石の下に帰ると言われた。福かえる、無事かえるの名石として、毎年7月7日に供養される。



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