當麻寺のご朱印
新西国霊場 ご朱印

新西国霊場(本堂)
新西国霊場 ご朱印

新西国霊場(本堂)
中之坊 ご朱印

中之坊
関西花の寺霊場 ご朱印

関西花の寺霊場
(西南院)
法然上人二十五霊場 ご朱印

法然上人二十五霊場
(奥院)
西山国師遺跡霊場 ご朱印

西山国師遺跡霊場
(奥院)

奈良の神社・仏閣
當麻寺(たいまでら)
【當麻寺のサイトへ】

住所/〒639-0276 奈良県葛城市當麻1263
TEL/0745−48−2004
アクセス
★電車/近鉄南大阪線「当麻寺」駅から徒歩約15分
★車/南阪奈道路「葛城」ICより約10分
    西名阪道「香芝」ICより約20分
駐車場/約50台(500円 民営・市営駐車場)
拝観料/本堂・金堂・講堂500円、中之坊500円、西南院300円、奥院300円
拝観時間/9:00〜17:00

奥院楼門より西塔・東塔(手前から)
奥院楼門より西塔・東塔(手前から)

高野山真言宗・浄土宗。二上山(にじょうさん)禅林寺(ぜんりんじ)と号する。当麻寺と記すこともあるが、正しくは當麻寺と表記する。新西国霊場第11番札所、神仏霊場奈良19番。
用明天皇第三皇子麻呂子(まろこ)親王が兄・聖徳太子の教えにより、612年に河内に建立した「萬法蔵院(まんぽうぞういん)禅林寺(ぜんりんじ)」が始まり。その後、親王の孫・當麻真人国見(たいまのまひとくにみ)が681年に役行者練行の現在地に移し、弥勒仏を本尊として創建、寺号を「當麻寺」に改めた。おそらくこの地方の豪族當麻氏の氏寺であったと考えられる。
白鳳時代から天平時代にかけて、金堂の他、講堂、東塔、西塔といった伽藍堂塔が建立され、周囲には中院(現在の中之坊)をはじめとする僧坊が整えられた。当初は三論学を中心とする奈良仏教の学問寺院であったが、824年に弘法大師の参籠を仰ぎ、真言密教が伝えられた。()

西塔と西南院
西塔と西南院

また天平時代に成立した當麻曼荼羅は、中将姫(ちゅうじょうひめ)の尊い故事とともに広く信仰を集め、次第に弥勒仏を凌いで本尊と呼ばれるまでになった。さらに、阿弥陀如来の極楽浄土を壮麗に表すこの當麻曼荼羅は、浄土宗知恩院の羨望するところとなり、南北朝時代に當麻寺の裏手に往生院(後の奥院(おくいん))を建立して二百余名の浄土僧を派遣した。中之坊や西南院(さいないん)などの中核の塔頭寺院が改宗に応じなかったため、當麻寺は真言宗のまま存続したが、このことを起源として真言宗寺院の當麻寺に浄土宗寺院も加わることになっていく。
現在は真言宗と浄土宗の二宗で護持をし、交代で住職を勤める珍しい体制をとる。最盛期は約50ヶ寺の塔頭があったが、現在は真言宗5ヶ寺、浄土宗8ヶ寺である。()

中之坊と東塔
中之坊と東塔

當麻曼荼羅 全国に多くの模写本が作られているが、その原本は天平時代763年に中将姫(ちゅうじょうひめ)が感得したとされる「綴織當麻曼荼羅」で「根本曼荼羅」や「古曼荼羅」などとも呼ばれている。損傷が著しいため、當麻寺の秘宝として保存されているが、すぐれた技法で精緻な織り上げられた綴織で国宝に指定されている。當麻寺本尊として正式に転写され現存するものの一つに「文亀曼荼羅」があり、これは法橋慶舜によって写され、1503年に開眼供養されて當麻寺本尊として祀られている。その他、縮小鎌倉本(中之坊蔵)や文亀第二転本(奥院蔵)など各塔頭にも伝わるほか、永観堂禅林寺本(重文)をはじめ、高野山清浄心院本(重文)、天台宗常楽寺本など宗派を越えて全国の各寺院に写本が現存する。さらには京都仁和寺(真言宗御室派総本山)にある金堂壁画の浄土図も當麻曼荼羅を元にして描かれるなど、全国にある浄土図の基本ともなっている。()

仁王門
仁王門
本堂(曼陀羅堂)
本堂(曼陀羅堂)

(右上)本堂(曼荼羅堂) (国宝)天平時代〜平安時代
當麻曼荼羅を祀る御堂。創建当初の當麻寺は金堂を中心とする寺院で、曼荼羅堂は千手堂という脇のお堂でしかなかったが、曼荼羅信仰の高まりとともに本堂として礼拝されるようになり建物も拡張された。金堂や講堂が南に面しているのに対し、曼荼羅堂は西方極楽浄土を象徴して、寺の西方に東面して建つ。()

講堂
講堂
黒門(北門)
黒門(北門)

(左上)講堂 (重要文化財)鎌倉時代
経典講読などの勤めなどを行う場所で、金堂についで白鳳時代に創建されたが、平安時代末に焼失し1303年に再建されている。金堂と異なり当初の仏像は全焼したため、諸堂、僧坊より集められた仏像、宝物が安置されている。()

金堂
金堂
梵鐘
梵鐘

(左上)金堂 (重要文化財)鎌倉時代
當麻寺の最も中心の堂宇で、根本本尊である弥勒仏や、四天王などの白鳳仏を安置する。当初の金堂は平重衡の南都焼き討ち(1180年)の際に破壊されたため、1184年に再建され、1326年に大規模な修理が行われている。
弥勒仏坐像 (国宝)白鳳時代
當麻寺創建時の本尊で681年の作とされる。土を盛って造られた塑像で、塑土の上に布を張り、漆、金箔で仕上げている。日本最古の塑像である。
(右上)梵鐘 (国宝)白鳳時代  銘はないが、日本最古のもの。()

大師堂
大師堂
薬師門
薬師門

(左上)大師堂 (県文化財)室町時代
境内の奥にあり、高野山より移された等身大の弘法大師像が祀られている。堂の周囲には中之坊や西南院(さいないん)の歴代住職の供養塔が並び、當麻寺の奥の院とされている。これに対し、塔頭奥院(おくいん)は京都知恩院の奥の院として創建されたものであり、當麻寺の奥の院ではない。()

東塔
東塔
西塔
西塔
西塔
西塔

(上)東塔・西塔(国宝) 東西ともに三重塔で、東塔は天平時代、西塔は天平時代末期から弘仁時代の建立であり、こうした古代伽藍の東西両塔が揃って現存するのは全国で當麻寺のみである。東塔は大日如来像、西塔は阿弥陀如来と弥勒菩薩像が祀られている。()

庫裡
庫裡
書院
書院

(上)中之坊 【中之坊のサイトへ】
當麻寺最古の塔頭。中将姫剃髪所。大和十三仏霊場第6番、大和七福八宝めぐり(布袋尊)。
當麻寺開創の際に役行者は金堂前の影向石にて熊野権現を勧請し、その出現した場所に自身の道場を開いた。役行者はそこに井戸を掘り、水を清め、陀羅尼助を創製し、施薬の行をはじめたともいう。奈良時代には、當麻寺別当・実雅がその道場を住房とし中院を開いた。中院は代々當麻寺別当(住職)の住房として「中院御坊」と尊称され「中之坊」となった。弘仁時代には弘法大師が中之坊実弁を弟子として真言密教を伝え、十一面観音を本尊とする密教道場となった。()

本堂
本堂
髪塚
髪塚

(上)本堂(中将姫剃髪堂)桃山時代
奈良時代、中将姫が剃髪した授戒堂で、建物は桃山時代の再建。平安時代に中将姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊とした。「導き観音」と呼ばれる。()

加持水の井戸
加持水の井戸
陀羅尼助精製の釜
陀羅尼助精製の釜

(上)陀羅尼助(だらにすけ) 飛鳥時代、役行者によって創製された「陀羅尼助(だらにすけ)」は日本最古の和漢薬。万能薬として知られたこの薬は現在は胃腸の妙薬として広く親しまれている。中之坊はこの「陀羅尼助(だらにすけ)」発祥地の一つとして知られ、代々製法が受け継がれ、1982年(昭和57年)まで製薬に用いた大釜が今も庫裡に残っている。()

東塔と香藕園
東塔と香藕園
香藕園
香藕園

(上)大和三名園香藕園(こうぐうえん)(名称・史蹟)桃山時代
中之坊庭園は、古くから大和三名園(竹林院、慈光院)と称される地泉回遊式兼観賞式庭園。
鎌倉時代に起源を持ち、桃山時代に完成、さらに江戸初期に、後西天皇(第百十一代)を迎えるため片桐石州によって改修された。極端に低い土塀で二段構えとし、天平の三重塔が借景として映え、心字池にその影を落とす。その歴史の重みと四季を通じた景観の美しさから、1934年(昭和9年)に史蹟と名勝の保存指定を受ける。()

西南院
西南院
西南院本堂
西南院本堂

(上)西南院(さいないん) 【西南院のサイトへ】
當麻寺塔頭。関西花の寺二十五ヶ所第21番霊場、仏塔古寺十八尊霊場第8番霊場。
境内の西南に位置する。ちなみに東南には東南院があったが現存していない。當麻寺の裏鬼門の守り寺院として創建された。()

西南院書院
西南院書院
西南院書院と庭園
西南院書院と庭園

(上)西南院(さいないん)庭園 池泉回遊式庭園。江戸初期に造られたものを中期ごろ一音法印によって改造された。山すそを利用し樹木を植え込み心字の池泉を設け中央に出島(亀島)その東側に鶴島の石組を配す。四周は飛び石で回遊し直線と曲線に打ち庭全体の景観に役立てている。山すそより種々の樹木を植え、小・丸・段刈り込みなどを用いて自然的な景観を整え、その作風は天平建築の粋たる西塔を借景とし、女性的な和らか味のある感覚を見せている。()

奥院
奥院
奥院入口
奥院入口

奥院(おくいん)  【奥院のサイトへ】
當麻寺塔頭。法然上人二十五霊場第9番札所、西山国師遺跡霊場第14番札所。
浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として建立した寺で、最初は往生院と呼ばれていた。知恩院第12代誓阿普観上人が知恩院のご本尊として安置されていた法然上人像(重要文化財)を光厳天皇の勅許を得て1370年当地に還座して建立した寺で爾来、浄土宗の大和本山として信仰を集めている。()

(左)阿弥陀堂(右)本堂
(左)阿弥陀堂(右)本堂
正玄関と庫裡
正玄関と庫裡

(下)浄土庭園 石彫くりから龍を中心に現世を表現した渓流と阿弥陀如来像を中心に数多くの石仏が並ぶ浄土の世界を写す庭園。()

浄土庭園
浄土庭園
浄土庭園
浄土庭園