文子天満宮の御朱印
御朱印

京都の神社・仏閣
文子天満宮
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住所/〒600-8184 京都市下京区間ノ町通り花屋町下る天神町400
TEL/075−361−0996
アクセス
★電車/JR・近鉄「京都」駅から徒歩約8分
      京阪電車「七条」駅より徒歩約10分
★車/名神「京都南」IC、「京都東」ICから約15分
駐車場/なし
拝観料/無料

正面鳥居
正面鳥居

御祭神は菅原道真公、相殿に文子比売(あやこひめ)(菅公御乳母)、伴氏(ともうじ)(菅公御母君)、是善(これよし)公(菅公御父君)を祀る。洛陽天満宮二十五社のひとつ。()

本殿
本殿
文子殿
文子殿

醍醐天皇御代に右大臣となった菅原道真は、左大臣であった藤原時平の讒言により、太宰府に左遷され、横死した。その後、時平をはじめ藤原一門が不慮の災いに遭い、また清涼殿への落雷による朝臣の頓死、地震や天候不順による農作物の不作等政治経済の混乱など、これらはすべて道真の怨霊のなす祟りと、人々を恐怖の底に落とした。これより道真公の霊を祀る天神信仰が起こったが、乳母である多治比(たじひ)文子(あやこ)は庭前に小祠をもうけて道真公の霊を祀り拝んでいた。これが当神社の始まりである。()

文子託宣図(北野天満宮蔵)
文子託宣図(北野天満宮蔵)
文子託宣図(大阪天満宮蔵)
文子託宣図(大阪天満宮蔵)

文子託宣図(佐太天満宮蔵)
文子託宣図(佐太天満宮蔵)
老松社・福部社・白太夫社
老松社・福部社・白太夫社

その後、多治比の文子に道真公のお告げがあった。多治比の文子が記した『北野天満自在天神宮を山城国葛野の上林郷に創建する縁起(略称「創建縁起」)』によると、道真公は「すでに天神の号を得たので鎮国の思いがある。世にあるとき、しばし遊んだ右近の馬場(今の北野天満宮)に祀られることを望む」とお告げがあった。947年6月9日に多治比の文子は、これを北野の地に移した。これが北野天満宮の創建である。()

「天神信仰発祥の神社」石碑
「天神信仰発祥の神社」石碑
「北野天満宮遥拝所」石碑
北野天満宮遥拝所」石碑
菅公腰掛石
菅公腰掛石

多治比文子の像
多治比文子の像
オガタマノキ
オガタマノキ
白瀧稲荷社
白瀧稲荷社

そして、さらに近江比良宮祢宜良種の子太郎丸にも託宣が下り、文子は、朝日寺の僧最鎮、法儀、鎮世等と力をあわせ崇め祀った。
このように当神社は菅原道真公を天神様として、日本で一番最初に信仰の対象にお祀りした次第から「天神信仰発祥の神社」の由縁であり、「北野天満宮の前身神社」と言われる由縁である。()



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