文子天満宮 |
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住所/〒600-8184 京都市下京区間ノ町通り花屋町下る天神町400
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正面鳥居 |
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御祭神は菅原道真公、相殿に |
本殿 |
文子殿 |
醍醐天皇御代に右大臣となった菅原道真は、左大臣であった藤原時平の讒言により、太宰府に左遷され、横死した。その後、時平をはじめ藤原一門が不慮の災いに遭い、また清涼殿への落雷による朝臣の頓死、地震や天候不順による農作物の不作等政治経済の混乱など、これらはすべて道真の怨霊のなす祟りと、人々を恐怖の底に落とした。これより道真公の霊を祀る天神信仰が起こったが、乳母である |
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文子託宣図(北野天満宮蔵) |
文子託宣図(大阪天満宮蔵) |
文子託宣図(佐太天満宮蔵) |
老松社・福部社・白太夫社 |
その後、多治比の文子に道真公のお告げがあった。多治比の文子が記した『北野天満自在天神宮を山城国葛野の上林郷に創建する縁起(略称「創建縁起」)』によると、道真公は「すでに天神の号を得たので鎮国の思いがある。世にあるとき、しばし遊んだ右近の馬場(今の北野天満宮)に祀られることを望む」とお告げがあった。947年6月9日に多治比の文子は、これを北野の地に移した。これが北野天満宮の創建である。 |
「天神信仰発祥の神社」石碑 |
「北野天満宮遥拝所」石碑 |
菅公腰掛石 |
多治比文子の像 |
オガタマノキ |
白瀧稲荷社 |
そして、さらに近江比良宮祢宜良種の子太郎丸にも託宣が下り、文子は、朝日寺の僧最鎮、法儀、鎮世等と力をあわせ崇め祀った。 |