永観堂の御朱印
西山国師遺跡霊場 御朱印

西山国師遺跡霊場
西山国師遺跡霊場 御朱印

西山国師遺跡霊場

京都の神社・仏閣
永観堂
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住所/〒606-8445 京都市左京区永観堂町48
TEL/075−761−0007
アクセス
★電車/JR京都線「京都」駅から市バス「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩約3分
          または「東天王町」下車 徒歩約5分
     あるいは地下鉄東西線「蹴上」駅下車 徒歩約15分
★車/名神「京都東」ICより三条通りを西へ約20分
駐車場/無料(11月除く) 市営「岡崎公園駐車場」あり(有料)
拝観料/600円(秋の寺宝展は1000円)
拝観時間/9:00〜17:00

総門
総門
中門
中門

浄土宗西山禅林寺派総本山。本尊は木造阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)。
西山国師遺跡霊場第8番札所、洛陽六阿弥陀霊場第2番札所。
永観堂の正式名称は聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん) 無量寿院(むりょうじゅいん) 禅林寺(ぜんりんじ)
第7世法主永観律師にちなみ永観堂と通称される。()

軒丸瓦当
軒丸瓦当
勧学門
勧学門

平安時代初期853年草創。863年弘法大師の高弟・真紹僧都が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、禅林寺という名を賜り真言密教の寺として始まる。
永観律師は薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、救済活動に努力され大きく発展する。()

浴室
浴室
本坊
本坊

鎌倉時代の住職・静遍僧都は真言宗の僧侶であったが、念仏の教えに深く帰依、法然上人の高弟・証空上人に住職を譲り、浄土宗西山派の寺院となる。()

唐門
唐門
盛り砂
盛り砂

(左上)唐門 江戸末期1830年再建。天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門。釈迦堂との間に盛り砂があり、勅使はこの盛り砂を踏んで身を清めて入堂した。()

大玄関と多宝塔
大玄関と多宝塔
御影堂
御影堂
境内
境内
放生池
放生池

開山堂
開山堂
臥龍廊
臥龍廊

(右上)臥龍廊 山の斜面に沿って、巧みに木を組み合せて作られた階段と廊下。御影堂から、阿弥陀堂、開山堂に登っていける。()

多宝塔上り口
多宝塔上り口
多宝塔
多宝塔

(上)多宝塔 法然上人・証空上人御廟所。
上部は円形、下部は方形の二重塔。五重塔のように、屋根の上に伸びる心柱に九輪と水煙が付いているのは珍しい。境内の最も高い位置に建てられ、ここから京都の町並みが一望できる。()

紅葉(総門から)
紅葉(総門から)
紅葉(中門)
紅葉(中門)
紅葉(鶴寿台・多宝塔)
紅葉(鶴寿台・多宝塔)
紅葉(釈迦堂)
紅葉(釈迦堂)

紅葉(臥龍廊)
紅葉(臥龍廊)
紅葉(唐門)
紅葉(唐門)

みかえり阿弥陀さま 東大寺開創供養の時一老翁が捧げた阿弥陀像が宮中に祀られていたが、やがて東大寺に下賜された。この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたのだが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、尊像の奥深いところから呼びかける声を聞いた。永観は、「衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない」と嘆いた。これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し供養することとなった。
後年、永観が東大寺別当職を辞して尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけて京都の木幡まで来たところ、尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめたと言い伝えられている。
1082年、永観50歳の頃、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。()

紅葉(御影堂)
紅葉(御影堂)
紅葉(御影堂)
紅葉(御影堂)

紅葉(多宝塔・放生池)
紅葉(多宝塔・放生池)
紅葉(弁天社)
紅葉(弁天社)
紅葉(茶店)
紅葉(茶店)
紅葉(南門)
紅葉(南門)




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