籠神社のご朱印
ご朱印 ご朱印

京都の神社・仏閣
(この)神社
【籠神社のサイトへ】

住所/〒〒629-2242 京都府宮津市字大垣430
TEL/0772−27−0006
アクセス
★電車/京都丹後鉄道「天橋立」駅より、丹海バスで「天橋立元伊勢籠神社」下車すぐ
     または天橋立観光船「天橋立桟橋」乗船口より「一の宮駅」下船 徒歩約2分
     または天橋立を徒歩約45分
★車/宮津与謝道路「与謝天橋立」ICより約15分
駐車場/約150台(終日700円、1時間まで無料)
拝観料/無料
拝観時間/7:00〜17:00

一の鳥居
一の鳥居
さざれ石
さざれ石

主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)、相殿に豊受大神(とようけのおおかみ)天照大神(あまてらすのおおかみ)海神(わたつみのかみ)天水分神(あめのみくまりのかみ)を祀る。
延喜式内社。丹後国一宮。神仏霊場京都51番。
別称、籠宮大社(このみやたいしゃ)・元伊勢大神宮・伊勢根本丹後一宮・一の宮大神宮とも呼ばれる。
彦火明命(ひこほあかりのみこと)天照大神(あまてらすのおおかみ)の御孫神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の御兄神に当たる。邇邇芸命(ににぎのみこと)天照大神(あまてらすのおおかみ)の籠もられた御神鏡を持ち、日向の高千穂に天降ったが、彦火明命(ひこほあかりのみこと)豊受大神(とようけのおおかみ)の籠もられた御神鏡を持ち、現在の丹後に天降り、丹後・丹波地方を開拓し、豊受大神(とようけのおおかみ)を丹後で祀った神である。
彦火明命(ひこほあかりのみこと)穂赤命(ほあかのみこと)とも呼ばれ、稲作に関係する側面と太陽神としての側面を持ち合わせ、別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)天照御魂神(あまてるみたまのかみ)天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも呼ばれた。また社伝によれば、彦火明命(ひこほあかりのみこと)上賀茂神社賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)と異名同神であると伝えられる。()

狛犬
狛犬
二の鳥居・神門
二の鳥居・神門
狛犬
狛犬

神代の時代から天照大神(あまてらすのおおかみ)の孫神であり、邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄神である(この)神社海部家の始祖彦火明命(ひこほあかりのみこと)豊受大神(とようけのおおかみ)を祀っていた。その後、崇神天皇39年(紀元前59年)豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)倭国(やまとのくに)笠縫邑(かさぬいのむら)から天照大神(あまてらすのおおかみ)を遷し、天照大神(あまてらすのおおかみ)豊受大神(とようけのおおかみ)吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間祀った。
その後、天照大神(あまてらすのおおかみ)は第11代垂仁天皇の御代に、また豊受大神(とようけのおおかみ)は第21代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢に遷した。(これゆえ元伊勢といわれる。)
吉佐宮(よさのみや)は、その後海部家26代目当主の海部直(あまべのあたえ)伍百道祝(いほじはふり)が宮号を「籠宮」と改め、真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代719年に、27代目当主海部直(あまべのあたえ)愛志(えし)が、現在地へと遷宮し、それを契機に主祭神を海部家の祖神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)とし、相殿に豊受大神(とようけのおおかみ)天照大神(あまてらすのおおかみ)海神(わたつみのかみ)天水分神(あめのみくまりのかみ)を併せ祀り(この)神社を創建した。
本殿正面には伊勢神宮と(この)神社にしか祀ることが許されていない五色の座玉(すえたま)がある。()

神門
神門
裏参道鳥居
裏参道鳥居

31代当主海部直雄豊(792〜819年)の娘に厳子(いつこ)姫がいた。姫は812年、京都の頂法寺六角堂に入り修行をし、822年に桓武天皇の第三皇子大伴親王の妃となる。大伴親王は翌年4月に即位して淳和天皇となっている。
厳子(いつこ)姫は妃となってから、故郷の名をとり真井(まない)御前と称したが、淳和天皇の寵愛を一身に集めたため、女官たちの嫉妬に遭い、宮中を出て、兵庫県西宮市甲山に一宇を建立し、空海を師として修行した。これが現在の神呪寺である。神呪寺の本尊は、空海が大きな桜の木に彫った真井御前の生き姿である如意輪観音像である。
そして真井御前は831年に剃髪して「如意」と号した。835年に如意尼は師空海の坐す高野山に向かって如意輪観音の真言を誦しながら遷化したが、その翌日空海は真井御前の後を追うように入定したという。()