東福寺のご朱印
ご朱印 同聚院 ご朱印

同聚院

京都の神社・仏閣
東福寺
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住所/〒605-0981 京都市東山区本町15丁目778
TEL/075−561−0087
アクセス
★電車/JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅から徒歩約10分
     あるいは京都市バス「東福寺」バス停下車
★車/名神「京都南」ICから約10分
駐車場/30台(無料)
 *但し 秋の特別拝観期間中は境内への車両進入不可。
   また駐車場も閉鎖(11月)。
拝観料/通天橋・開山堂拝観料 400円
     方丈八相庭園拝観料  400円
拝観時間/ 4月〜10月末 9:00〜16:00
       11月〜12月初旬 8:30〜16:00
       12月初旬〜3月末 9:00〜15:30

(手前)三門(奥)本堂
(手前)三門(奥)本堂
本堂(仏殿)
本堂(仏殿)

臨済宗東福寺派大本山。山号は恵日山(えにちざん)。創建は古く鎌倉時代。
摂政関白・藤原(九條)道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、東大寺興福寺から「東」と「福」の二字をとり、九條家の菩提寺として造営した。
仏殿には高さ15mの大仏立像を安置し、京の「新大仏寺」として、1236年より19年をかけて、都最大の伽藍を完成させた。()

開山堂
開山堂
開山堂庭園(普門院前庭園)
開山堂庭園(普門院前庭園)

開山には聖一国師を仰ぎ、当初は天台・真言・禅の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍を配置した。鎌倉末期の相次ぐ火災により大部分が焼失したが、直ちに復興され、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院として再建された。()

通天橋
通天橋
偃月橋
偃月橋

広大な境内に北谷・中谷・南谷の三つの渓谷を巧みに取り入れている。ここにかかる三つの歩廊橋は上流から偃月橋(重文)、通天橋、臥雲橋であり、これを「東福寺三名橋」と呼ばれ、京都を代表する紅葉の名所である。()

臥雲橋
臥雲橋
臥雲橋扁額
臥雲橋扁額

三門
三門
日下門
日下門

(左上)三門(国宝) 室町時代1405年足利義持の再建。
一般的には「山門」と表記されるが、此処では「三つの門:三門」と表記している。この意味は、「三解脱門」の略で、涅槃に達するための通らなければならない門とされる。「空門(くうもん)」、「無相門(むそうもん)」、「無作門(むさもん)」の三つである。大きさは、五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺き、左右に階段を覆う山廊を有す。構造的には大仏様(天竺様)であるが、視覚的には禅宗様である。三門正面二階には北朝第四代将軍足利義持の筆である扁額「妙雲閣」が掲げられている。()

庫裡
庫裡
方丈
方丈

本坊
本坊
禅堂
禅堂

(右上)禅堂(重要文化財) 室町時代1347年再建。選佛場とも称し、僧侶になるための修業道場で、昔は400人以上の僧が修業を行ったこともあった。内陣の「選佛場」の扁額は宋国径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)の無準師範(佛鑑禅師)の筆で、無準師範は東福寺開祖聖一国師の師匠である。また入口の扁額「禅堂」は三百三世福島慶道管長の筆である。禅堂の大きさは桁行七間梁間四間、一重裳階(もこし)付切妻造、本瓦葺で、我が国最大最古の道場である。()

浴室
浴室
勅使門
勅使門

(左上)浴室(重要文化財) 室町時代1459年再建。禅宗伽藍の現在最古の浴室、いわゆる「サウナ風呂」で、当時は100人単位の僧侶が修業していた。構造は、東側に破風の二つの蒸し風呂が並び、各々板戸を立てている。後方に釜や焚き口が有り、蒸気をすのこを通して下から送る。大きさは、桁行三間梁間四間、一重正面入母屋造り、背面切妻造り、本瓦葺き。内部は正面板敷きの上に中央向唐破風。()

石碑
石碑
山門
山門
石碑
石碑

(上)退耕庵(たいこうあん) 東福寺塔頭(たっちゅう)の一つ。1346年東福寺第43世住持性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建され、応仁の乱で一時荒廃したが、1599年安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興された。
客殿は、再興時に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが、関ヶ原の戦いの謀議を行ったと伝えられる。
庭園は、書院をはさんで南北二庭からなり、南庭は美しい苔に覆われた枯山水庭園で、北庭は池泉式庭園となっている。地蔵堂に安置する高さ2mの地蔵菩薩像は、体内に小野小町に寄せられた多数の艶書を収めていたことから「玉章(たまずさ)地蔵」の名で知られている。また1868年の鳥羽伏見の戦いでは、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、此処はその戦いの殉難者の菩提所になっている。()

山門
山門
不動堂
不動堂

(上)同聚院(どうじゅいん) 東福寺塔頭(たっちゅう)の一つ。東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立したところで、1006年には藤原道長が40歳の賀に当たり、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。しかし、鎌倉時代初期にはその法性寺(ほっしょうじ)は衰微し、その跡地に東福寺が建てられた。此処はその五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が祠られている。像は仏師定朝(じょうちょう)の父・康尚(こうしょう)の作品で、「じゅうまん不動」と称されている。(「十」の下に「万」を組み合わせた一字)は土地の守護を表す「土力(どりき)」、又は十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。()