市房山神宮里宮神社の御朱印
御朱印帳

御朱印帳
御朱印
御朱印

熊本の神社・仏閣
市房山(いちふさやま)神宮里宮(さとみや)神社
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住所/〒868-0601 熊本県球磨郡湯前町下城
TEL/0966−43−3032
アクセス
★電車/くま川鉄道「湯前」駅下車 徒歩約15分
★車/九州自動車道「人吉」ICより約35分
駐車場/約100台(無料)
拝観料/無料  境内自由

拝殿
拝殿

御祭神は天津日高日子番能邇々芸命(あまつひだかひこほのににぎのみこと)天津日高日子穂々手見命(あまつひだかひこほほでのみこと)木之花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)火照命(ほでりのみこと)火須勢理命(ほすせりのみこと)豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
市房山神宮は、霊峰市房山を神体として、山中の本宮・山麓の一の宮神社(中宮)・湯前町の里宮神社(下宮)の三社で構成されている。()

一の鳥居
一の鳥居
本殿
本殿

市房山神宮里宮の創建は1934年(昭和9年)であるが由緒は古い。市房山神宮は霧島神宮と同体で、江戸時代まで市房大権現と呼ばれていた。平安時代初期の807年(大同2年)に鎮座といわれ、古伝によると、久米(現多良木町)の城主市房という人が狩りで山に登り大きな奇石を見て霊地であると感じ、ここに小さな祠を建て霧島神宮の神を勧請したのが始まりという。()

二の鳥居
二の鳥居
縁を見通す円
縁を見通す円

降り龍
降り龍
拝殿神額
拝殿神額
昇り龍
昇り龍

当時は神仏習合で神社には付属の寺院が建てられ別当寺といい、当社には普門寺があった。しかし明治時代には廃仏毀釈で遥拝所となったが、1883年(明治16年)6月5日火災により全焼した。その後1929年(昭和4年)遥拝所跡地に里宮建立の機運が高まり、2年後には県から神社建設の許可が得られ、1934年(昭和9年)4月28日に落成式が行われた。()

御神木
御神木
御神馬
御神馬

軽巡洋艦球磨記念館
軽巡洋艦球磨記念館
軽巡洋艦球磨記念館
軽巡洋艦球磨記念館

(上)軽巡洋艦球磨記念館 日本海軍の軽巡洋艦「球磨」の守護神は、里宮神社の本社となる市房山神宮から分祀されたもの。多くに人に軽巡洋艦「球磨」のことを知ってもらうことが戦没者の供養になるとの思いから、境内に「軽巡洋艦球磨記念館」が設置された。「艦これ」の聖地としても知られている。()



普門寺(ふもんじ)観音 相良三十三観音第25番札所。
市房大権現の別当寺として当初は湯山(水上村)にあって修験道(山伏)の寺であったが、1506年(永正3年)相良家13代近江守長毎は岩野に移し真言宗の施無畏山普門寺を建立し里坊とした。しかし1582年(天正10年)普門寺の僧盛誉(せいよ)は無罪の罪で殺害された。母親は我が子の殺害を怨み呪い入水して死んだ。この祟りが激しかったので霊を鎮めるために1625年(寛永2年)生善院(しょうぜんいん)(猫寺)と千手観音堂が建立され、盛誉(せいよ)の命日の3月16日にはお嶽さん参りの帰りに必ず生善院(しょうぜんいん)・千手観音堂にも参ることとされた。
その後、1604年(慶長9年)に僧頼真によって湯前城の旧跡に再興され、相良氏から江戸時代を通して郡内の寺院で最高の石高460石を給された。そしてこの地に市房大権現の遥拝所が設けられ人々の参拝が容易となった。しかし1872年(明治5年)普門寺は廃寺となり単に遥拝所となったが、1883年(明治16年)6月5日火災により全焼した。()




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