高徳院の御朱印
御朱印

神奈川の神社・仏閣
高徳院
【高徳院のサイトへ】

住所/〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2-28
TEL/0467−22−0703
アクセス
★電車/江ノ電「長谷」駅下車 徒歩約10分
    JR横須賀線「鎌倉」駅下車
      江ノ島電鉄バスもしくは京浜急行バスで「大仏前」バス停下車すぐ
★車/横浜・横須賀道路「朝比奈」ICをおり約20分
       あるいは「逗子」ICをおり約25分
駐車場/なし(周辺に有料民間駐車場有)
拝観料/200円
  大仏胎内の拝観には別途20円必要
拝観時間/8:00〜17:30(4〜9月)
     8:00〜17:00(10〜3月)
  大仏胎内拝観時間/8:00〜16:30

仁王門
仁王門
鎌倉大仏
鎌倉大仏

正しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)といい、浄土宗の寺院。
もとは大仏殿と呼ばれ、鎌倉幕府が造営した寺。管理する別当は幕府により任命され、室町時代には建長寺の支配下にあった。
江戸時代の1712年に江戸芝の増上寺祐天(ゆうてん)上人が江戸の豪商野島新左衛門の後援で大仏殿再興を志し、大仏周辺の田畑を買収して寺地を復興した。あわせて大仏を修理し、清浄泉寺(しょうじょうせんじ)として復興して、野島新左衛門の法名である高徳院をとり、高徳院清浄泉寺として宗派も浄土宗に改め光明寺の末寺とした。()

藁草履
藁草履
大仏
大仏
大仏
大仏

(右上下)国宝鎌倉大仏 この大仏像は阿弥陀仏で、仏身の高さ約11.3m、耳の長さ約2m、目の長さ約1m、周囲約35m、重さ約120tといわれる巨大な銅像である。
源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局(いなだののつぼね)が発起し、僧浄光が勧進して造った。初めは木造で1238年に着工し6年間で完成したが、1247年大風で倒壊したので、1252年に現在の青銅の像が鋳造され大仏殿に安置された。原型作者は不明だが、鋳工として大野五郎右ヱ門や丹治久友の名が伝えられる。大仏殿は1334年と1369年に大風で倒れ、その都度復興したが、1498年の海潮に流出以来は復興されず、露像として知られるに至った。1923年(大正12年)の大震災には台座が崩れ仏像は前に傾いたが倒れなかった。1925年(大正14年)台座を補強し仏像を台座に固定する耐震補強がなされた。1960〜61年の修理では前傾している頭部を支える頸部を強化プラスチックで補強し、大正時代の耐震補強とは反対に大地震の際は台座と佛体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は日本の文化財としては最初のものである。()

観月堂
観月堂
大仏の内部
大仏の内部

(左上)観月堂 もとは朝鮮李王朝の月宮殿(げっきゅうでん)であったもの。鎌倉三十三観音霊場第23番札所。江戸後期の作品とみられる木造の観音菩薩立像が安置されている。()



HOME TOP BACK LINK