建長寺の御朱印
御朱印

神奈川の神社・仏閣
建長寺
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住所/〒247-8525 神奈川県鎌倉市山ノ内8
TEL/0467−22−0981
アクセス
★電車/JR横須賀線「北鎌倉」駅下車 徒歩約15分
      あるいはバスで約5分「建長寺」バス停下車すぐ
    JR横須賀線「鎌倉」駅下車 徒歩約30分
      あるいはバスで約10分「建長寺」バス停下車すぐ
★車/横浜・横須賀道路「朝比奈」ICをおり約15分
駐車場/約30台(1時間600円)
拝観料/300円
拝観時間/8:30〜16:30

天下門
天下門
仏殿
仏殿

臨済宗建長寺派大本山。正しくは巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位。
1253年に鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した日本最初の禅寺。
鎌倉三十三観音霊場第28番札所、鎌倉二十四地蔵尊霊場第9番・第10番・第11番札所。
開山は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)で、中国の高僧無明慧性(むみょうえしょう)に学び、1246年に33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられる。そして建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を越える修行僧を指導した。その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることが出来る。()

唐門
唐門
方丈庭園
方丈庭園

蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、1278年に再び建長寺に帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜る。これは日本で最初の禅師号である。なお「建長汁(けんちんじる)」は建長寺発祥の料理である。
伽藍 創建当時は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもので、総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が直線にならび、左右に大禅堂・大(じき)堂を有した。その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが焼失した。江戸時代に入り、沢庵和尚や金地院(こんちいん)崇伝(すうでん)の進言、徳川幕府の後援などによって、再建、復興し、2003年(平成15年)の創建750年事業によって現在の姿となった。()

総門
総門
方丈(龍王殿)
方丈(龍王殿)

(左上)総門 巨福(こふく)門ともいい、1783年に建立された京都の槃舟(はんしゅう)三昧院(ざんまいいん)の門を1940年(昭和15年)に移築した。額は建長寺第十世住職一山(いっさん)(ねい)の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加えたもので、百貫の価をそなえた百貫点といわれる。方丈もその時一緒に移築された。()

三門
三門
三門扁額
三門扁額

(上)三門 重要文化財。三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念している。1775年に第二百一世住職万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれている。これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによる。()

仏殿
仏殿
国宝梵鐘
国宝梵鐘

(左上)仏殿 重要文化財。本尊地蔵菩薩を安置し、法要を行うお堂。1647年に東京・芝の増上寺より徳川二代将軍秀忠の夫人で小督(おごう)の方(崇源院)の霊屋を移築したもの。
仏殿の前栽として参拝道の両側に7本の柏槇(びゃくしん)の古木がある。大覚禅師のお手植えと言われている。
(右上)梵鐘 国宝。重さ2.7トン。1255年に大和権守(やまとごんのかみ)物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮彫りにされている。()

法堂
法堂
法堂天井画「雲竜図」
法堂天井画「雲竜図」

(上)法堂(はっとう) 重要文化財。拈華堂(ねんげどう)ともいう。1814年に再建されたもので、木造建築では関東最大のもの。()



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