富士講 古代より富士山は、神体山(禁足地)であり、麓にて祭祀が行われ、その姿の見える場所から遙拝されてきた。その後、仏教伝来、また修験道などの影響を受け、修行を通して超自然的な験力を得ることを目的に、室町時代には信仰登山が盛んになった。江戸時代になると登れない人達のためにお金を集め代表を選び皆の祈願を託す「講」の仕組みが生まれた。そして村内には富士塚などの遙拝所ができた。または行者として修行のために富士山に集団登拝するものもあらわれた。道中の各所に宿坊ができ、御師が出現した。御師は宿舎の提供だけでなく、教義の指導や祈祷、各種取次業務を行うなど、富士信仰の全般にわたって世話をする存在であった。
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