瀧泉寺の御朱印
本尊 御朱印

本尊
江戸三十三観音霊場 御朱印

江戸三十三観音霊場
山手七福神 御朱印

山手七福神

東京の神社・仏閣
瀧泉寺(りゅうせんじ)
【瀧泉寺のサイトへ】

住所/〒153-0064 東京都目黒区下目黒3-20-26
TEL/03−3712−7549
アクセス
★電車/JR山手線「目黒」駅より徒歩約20分
    東急目黒線「不動前」駅より徒歩約10分
    JR山手線「渋谷」、「恵比寿」、「五反田」駅より
       東急バスにて「目黒不動尊」下車 徒歩約5分
★車/首都高速目黒線「荏原」出口より約10分
駐車場/数台(無料)
拝観料/無料  境内自由

仁王門
仁王門
大本堂
大本堂

天台宗。正しくは、泰叡山(たいへいざん)護國院瀧泉寺(りゅうせんじ)という。
不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊と呼ばれる。慈覚大師・円仁の開創。
江戸三大不動・江戸五色不動の一つ。江戸三十三観音霊場第33番札所、関東三十六不動霊場第18番札所。()

観音堂
観音堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂

808年、慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が15歳の時、師の広智阿闍梨に伴われ、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄った。
そしてその夜の夢の中で、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げた。夢が覚めた後にその尊容を黙想し、自らその像を彫刻して安置したのに始まる。
その後、大師は唐の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、夢の中の神人がこの不動明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立したという。
棟札に『大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久』と認め、この「瀧泉」をもって寺号と成し、山号は清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り、泰叡山と称した。()

前不動堂
前不動堂
垢離堂・独鈷の滝・水かけ不動明王
垢離堂・独鈷の滝・水かけ不動明王

関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて、日本三大不動の一つに上げられる。
江戸時代には、徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りををした際、その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願をすると、たちまち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたので家光はその威力を尊信し、堂塔伽藍の造営を行った。それ以後幕府の厚い保護を受けた。
また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わった。
さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中感応寺(現天王寺)と並んで「江戸の三富」と称された。()

愛染明王
愛染明王
大日如来
大日如来
比翼塚
比翼塚

境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失したが、前不動堂(都指定文化財)と勢至堂(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築を伝えている。
仁王門左手の池近くには山手七福神の一つの恵比寿神が祀られている。
裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)がある。()



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