六郷満山(ろくごうまんざん)
六郷満山(ろくごうまんざん)」とは、国東半島一帯に開かれた寺院群をいう。「六郷」は、古代国東半島にあった六つの郷(田染(たしぶ)来縄(くなわ)伊美(いみ)国前(くにさき)武蔵(むさし)安岐(あき))、「満山」はそこに築かれた寺院の集合である。2018年に開山1300年を迎えた。
最盛期には65の寺と800を超える宿坊があり、大勢の僧が住んでいたといわれる。そして現在も約30の六郷満山寺院が歴史を守り継いでいる。
六郷満山の寺々はそのほとんどが718年宇佐八幡神の化身とされる仁聞(にんもん)菩薩によって開かれたという。八幡神という神が、菩薩という仏に生まれ変わった姿、神と仏の習合である。仁聞(にんもん)菩薩は、国東の山野をめぐり、山岳信仰の修行の場として28ヵ寺を開いた。これらは寺院というより岩屋を中心とする行場的なもの。宇佐宮の宮内には弥勒寺といわれる神宮寺があり、その僧たちが仁聞(にんもん)菩薩とともに国東半島の山々へ分け入り、岩屋に仏様をおさめて修行の巡礼をした。これが六郷満山の始まりである。
804年に天台宗の開祖・伝教大師最澄が渡唐の途中、航海の安全を祈願して宇佐八幡宮に参拝した。その後、宇佐宮が荘園を領する国東半島一円に天台宗が広まっていく。こうして厳しい地形での修行を好む山岳信仰と、九州でいち早く伝わった天台仏教が融合し、神仏習合の宇佐八幡宮主導のもとに六郷満山文化が生まれた。
六郷満山の寺院は学問修業の場であった。立地と役割により三つに大別されている。まず宇佐八幡宮に近い八ヵ寺を本山本寺とし、学僧養成と統率的な職務を担当、次に半島中央部に位置する十ヵ寺を中山本寺とし、山岳修練の行を実践する僧が集い、各種記録を行う職務を持つ寺、そして半島周辺部にある十ヵ寺を末山本寺とし、一般の人々と接しながら修行をしていた。
詳しくは ⇒「宇佐神宮六郷満山霊場」の公式サイトまで()