日本全国に菅原道真公を御祭神とする神社(天満宮)が多数あり、これらは天満神社、天神社と称しているものもある。
醍醐天皇御代に右大臣となった菅原道真は、左大臣であった藤原時平の讒言により、太宰府に左遷され、横死した。その後、時平をはじめ藤原一門が不慮の災いに遭い、また清涼殿への落雷による朝臣の頓死、地震や天候不順による農作物の不作等政治経済の混乱など、これらはすべて道真の怨霊のなす祟りと、人々を恐怖の底に落とした。これより菅原道真公を「天神」として祀る天神信仰が起こった。また現在では、道真公は優れた学者であったことから学問の神様ともされ、受験生が合格祈願に詣でる。

道真公は梅を愛し、飛梅伝説ができたことから、梅を象徴とした梅鉢紋が多く用いられ、また牛にまつわる様々な伝承から、天満宮は牛を神使としており、境内には撫牛が多数置かれている。北野天満宮太宰府天満宮が信仰の中心となり、この二社に加え防府天満宮の三つの天満宮が日本三大天神と呼ばれる。

その中で「菅公聖蹟(かんこうせいせき)二十五拝」とは、京都から太宰府(九州)までの道真に由緒深い25社を選んで順拝する風習である。また京都市内で25社選んだものが「洛陽天満宮二十五社」である。これは時代で少々異なる。