堀越神社の御朱印
御朱印

大阪の神社・仏閣
堀越神社
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住所/〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-8
TEL/06−6771−9072
アクセス
★電車/地下鉄御堂筋線・谷町線・JR環状線「天王寺」駅
       または、近鉄「あべの橋」駅より徒歩約10〜15分
★車/阪神高速「天王寺」ランプから約3分、「夕陽丘」ランプから約8分
駐車場/約3台(無料)
拝観料/無料
開門時間/6:00(4〜9月)、6:30(10月〜3月)
            ※毎月1日と初辰日は6:00
閉門時間/外周門 16:00、御垣内 17:00(1年中)

正門
正門

主祭神は崇峻(すしゅん)天皇。小手姫(おてひめ)皇后、蜂子皇子(はちこのおうじ)錦代(にしきて)皇女を配祀する。
第33代推古天皇の御代(592〜628年)に聖徳太子が四天王寺を創建した際、叔父にあたる崇峻(すしゅん)天皇を祭神として茶臼山に社殿を造営したのが始まりと伝わる。
明治中期まで境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、「堀越」という名がつけられたという。古くから「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い伝えがある。()

拝殿
拝殿
熊野第一王子之宮
熊野第一王子之宮

崇峻(すしゅん)天皇は第32代天皇(在位587〜592年)。第29代欽明天皇の第12皇子で、母は蘇我稲目(そがのいなめ)の娘・蘇我小姉君(そがのおあねのきみ)
第31代用明天皇の崩御後、蘇我、物部の対立が激化し、蘇我馬子は587年に物部氏が立てようとしていた穴穂部皇子(あなほべのおうじ)を殺し、豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)(推古天皇)や群臣とともに泊瀬部皇子(はつせべのおうじ)崇峻(すしゅん)天皇)を即位させた。しかしその後、対立して暗殺された。()

太上神仙鎮宅霊符尊神
太上神仙鎮宅霊符尊神
白龍社
白龍社
茶臼山稲荷神社
茶臼山稲荷神社

そして蜂子皇子(はちこのおうじ)小手姫(おてひめ)皇后、錦代(にしきて)皇女はともに蘇我氏から逃れて東北に脱出した。
蜂子皇子(はちこのおうじ)は聖徳太子に助けられ都を脱出し、東北まで逃れ、出羽の文化、産業の始祖として活躍、出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)の開祖になったと言われている。
小手姫(おてひめ)皇后もまた、崇峻(すしゅん)天皇の服喪の後、皇子の後を追って東北の福島県小手郷堂平(現在の川俣町)に安住の地を見出して、これまでに培った養蚕の技術を福島の民達に教え伝え、産業・文化の発展に貢献した。その後は、錦代(にしきて)皇女を亡くし、蜂子皇子(はちこのおうじ)に会えないことを悲嘆して、大清水にある清水に身を投げたと伝えられる。()



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