伊勢寺のご朱印
ご朱印

大阪の神社・仏閣
伊勢寺
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住所/〒569-1118 大阪府高槻市奥天神町1-1-19
TEL/072−681−3284
アクセス
★電車/JR京都線「高槻」駅北口から徒歩約15分
      あるいは高槻市営バス「上天神」下車 徒歩約5分
★車/名神「茨木」ICより約20分または「大山崎」ICより約30分
駐車場/約15台(無料)
入山料/無料

山門と寺号碑
山門と寺号碑
山門
山門

曹洞宗。金剛山象王窟(しょうおうくつ)伊勢寺と称し、聖観音菩薩を本尊とする。
平安時代の女流歌人、伊勢の晩年の旧居が当寺の前身であるとも、天正年間に高山右近に焼き払われたともいう。()

山門扁額
山門扁額
中門
中門

現在の堂宇は、元和から寛永(1615〜1643年)の頃、僧宗永により建立され、このとき天台宗から曹洞宗に転じた。
また伊勢廟堂を修築した際に地中から出土した銅鏡や古硯が、当寺の寺宝として伝えられている。伊勢廟堂は本堂の西にあり、傍らの古碑は1651年、高槻城主永井(ながい)直清(なおきよ)が建立した。碑文は儒学者林羅山による。()

本堂
本堂
本堂扁額
本堂扁額

直清はこの前年に能因法師を顕彰しており、能因が慕っていたという伊勢と当寺の寺名を結びつけて、伊勢を顕彰したものとみられる。これ以後古曽部一帯は、2人の平安歌人の能因・伊勢ゆかりの地として有名になった。
境内には戦国時代の武将、和田(わだ)惟政(これまさ)の墓地がある。惟政は高槻城主であった1571年、白井河原(現茨木市)の合戦で池田勝正に討たれた。後の享保年中に高槻城を改修した際に墓石が発見され、当寺に移したものといわれている。()

鐘楼
鐘楼
金毘羅大権現
金毘羅大権現

地蔵堂・大師堂
地蔵堂・大師堂
不動堂
不動堂
筆塚
筆塚

伊勢(877?〜939?没) 平安時代中期の女流歌人で、三十六歌仙の一人。宇多・醍醐・朱雀の三代にわたって活躍し、「古今和歌集」、「新古今和歌集」などに抜群の地位を占め、和歌史上、小町と和泉式部の間に立つ。
難波潟 みじかき葦の ふしの間も 逢はで此の世を 過ぐしてよとや(新古今和歌集巻十一)()

稲荷社
稲荷社
歌碑
歌碑

伊勢は、時の貴族藤原継陰の娘で、父が伊勢守であった頃に生まれたので、国の名をそのまま伊勢と名付けられた。はじめ七条の后に仕え、当時皇太子であった宇多天皇と結ばれ行明親王を産んだ。しかし行明親王は8歳で亡くなり、また宇多天皇も31歳で譲位し御室仁和寺に移った。伊勢も桂に移り住んで和歌に励んだ。一方で、宇多天皇の皇子中務卿敦慶親王の愛を受け、女流歌人中務を産んだ。伊勢とともに中務も三十六歌仙に選定されている。
宇多上皇崩御の後、この地古曽部の里に幽棲して、宇多上皇と行明親王の御霊を祀り生涯を閉じた。その後、伊勢の弟伊勢貞国が屋敷跡を寺として、代々その法灯を守り続けている。()



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