玉造稲荷神社 |
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住所/〒540-0004 大阪市中央区玉造2丁目3-8 |
参道 |
社号碑 |
御祭神は |
拝殿 |
豊臣秀頼公奉納鳥居 |
587年に聖徳太子が仏教問題で物部守屋と争われた際、当神社へ祈願され、玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこれに枝葉を生ぜしめよ」と栗の白木を差し込んだ。すると枝が延び若葉も生え、無事物部氏との争いも勝利したことで、太子自ら十一面観音像、多聞不動像を作り祀られ、当地へ長楽寺観音堂を建立された。これより当社は元四天王寺と呼ばれている。
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胞衣塚大明神 |
厳島神社 |
戦国時代、豊臣秀吉による大坂城築城により、社域が城内となったことから大坂城の鎮守神として祀られ、神社付近には名だたる武家・町人が屋敷を構えた。また豊臣秀頼と母・淀殿の崇敬が特に篤く社領500石を寄進し、1603年には片桐且元、加藤嘉明に命じ、天正年間に荒廃した社殿を再興し、その銘が入った鳥居も境内に現存している。 |
「玉造黒門越瓜ゆかりの地」記念碑 |
伊勢迄歩講起点碑 |
豊臣秀頼公銅像 |
江戸時代になっても崇敬は変わらず、大坂城代が入城する祭には、必ず定紋の提灯を奉納し参拝した。稲荷社十五社巡りをはじめとする史料には大坂稲荷社の御本社と記され、大坂三十三所観音の10番札所でもあり、多くの参拝者で賑わった。 |