住所/〒900-0031 那覇市若狭1丁目25-5TEL/098−868−1469 アクセス★電車/那覇空港より 沖縄都市モノレール(ゆいレール)にて「旭橋」駅下車 徒歩約15分 または那覇空港、那覇港、那覇新港より バスにて「西武門」バス停下車 徒歩約3分 ★車/那覇空港より約10分 駐車場/数台(無料)拝観料/無料拝観時間/6:30〜18:30
高野山真言宗。山号は波上山(はじょうざん)。 南北朝時代の1368年に薩摩国坊津の一乗院(明治初年に焼失して現存しない)から真言宗布教のために来琉した頼重法印(らいじゅうほういん)が開山した。当時の琉球国王察度(さっと)の尊信を得て、天下泰平、鎮護国家、五穀豊穣を祈願する勅願寺(密教道場)として現在地に建立された。以来、武寧(ぶねい)王より最後の尚泰(しょうたい)王に至るまで、王が即位する際には家来数百名と共に参詣し、本堂にて君臣の縁結びの盃を取り交わした。また王城では毎年1月8日から7日間、宝祚(ほうそ)延長、万民豊楽の祈願法要が行われ、当時住職以下20数名が出仕したと伝えられている。()
明治時代の神仏分離令発布まで、隣接する波上宮(なみのうえぐう)の別当寺であったが、現在は仏教、神道それぞれの宗教活動を行っている。第二次大戦で建物や仏像は全て焼失したため、1947年(昭和22年)に仮復興し、1975年(昭和50年)頃に波之上にて主な境内整備を終えた。境内にはベッテルハイムと仲地紀仁の石碑がある。ベッテルハイムは1846年頃、英国海軍伝道局より医師兼宣教師として琉球に派遣された。しかし当時はキリスト教の布教が禁止されていたため、護国寺境内に軟禁されたまま数年間過ごすこととなった。その間、西洋医学(手術法や牛痘接種法等)を仲地紀仁に伝授し、その後来琉したペリーらと共に渡米したとされている。()