談山神社のご朱印
 ご朱印

十三重塔 ご朱印

十三重塔
藤原鎌足公 ご朱印

藤原鎌足公

奈良の神社・仏閣
談山神社(たんざんじんじゃ)
【談山神社のサイトへ】

住所/〒633-0032 奈良県桜井市多武峰319
TEL/0744−49−0001
アクセス
★電車/JR桜井線、近鉄大阪線「桜井」駅より
       奈良交通バスで「談山神社」バス停下車 徒歩約5分
★車/南阪奈道路「新庄」出入口より約30分
    西名阪自動車道「天理」ICより約40分
駐車場/約300台(無料) 第1〜5駐車場まであり
拝観料/500円(平成28年9月1日より600円)
拝観時間/8:30〜17:00(受付は16:30に終了)

正面鳥居
正面鳥居
権殿・十三重塔
権殿・十三重塔

御祭神は藤原鎌足公。
神仏霊場奈良24番、大和七福八宝めぐりのひとつ。()

十三重塔・新廟拝所
十三重塔・新廟拝所
十三重塔
十三重塔

飛鳥・法興寺(現在の飛鳥寺)で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、多武峰(とうのみね)に登り大化改新の談合を行ったことから、後にこの山を談い山(かたらいやま)談所ヶ森(だんじょのもり)と呼び、神社社号の起こりとなった。()

鎌足公御神像
鎌足公御神像
新廟拝所内
新廟拝所内

多武峰(とうのみね)縁起』によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って曰く。鞍作(くらつくり)(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくは奇策を()べよと。中臣連、皇子を(ひき)いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」と記されている。
この談合により645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業が成し遂げられた。()

楼門
楼門
本殿
本殿

藤原鎌足は669年に亡くなり、次男の藤原不比等(ふひと)により摂津阿威山(現大阪府高槻市)に葬られた。
その後、長男定恵(じょうえ)が唐から帰国したのち、弟の不比等(ふひと)と相談のうえ遺骨を多武峰(とうのみね)に移葬、678年に十三重塔と講堂を建立し、妙楽寺 (または多武峰(とうのみね)寺)と号した。
さらに701年に塔の東に神殿(聖霊院、多武峰(とうのみね)社とも号す)を建て鎌足の木像を安置したのが談山神社(たんざんじんじゃ)の起こりといわれる。()

拝殿縁側
拝殿縁側
拝殿内宝物
拝殿内宝物

やがて神仏習合が進展、その僧兵が興福寺衆徒と戦ったり、多武峰(とうのみね)の鳴動や鎌足木像の破裂を称して公家に強訴したのが有名。
明治の神仏分離によって多武峰(とうのみね)談山神社(たんざんじんじゃ)となり、聖霊院を本殿、護国院を拝殿、東西の透廊と楼門で囲む一郭を本社とし、従来の講堂を拝所、十三重塔を神廟と名が改められた。()

総社拝殿
総社拝殿
福禄寿神
福禄寿神







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