大崎八幡宮の御朱印
御朱印

宮城の神社・仏閣
大崎八幡宮
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住所/〒980-0871 仙台市青葉区八幡4-6-1
TEL/022−234−3606
アクセス
★電車/JR東北本線「仙台」駅より車で約20分
     または仙台市営バスにて「大崎八幡宮前」下車 徒歩約1分
    JR仙山線「東北福祉大前」駅より徒歩約15分
    JR仙山線「国見」駅より徒歩約20分
★車/東北自動車道「仙台宮城」ICより約20分
駐車場/約40台(無料)
拝観料/無料  境内自由

三之鳥居
三之鳥居
拝殿
拝殿

御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
平安時代、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県奥州市水沢区に勧請、鎮守府八幡宮を創祀した。
その後、室町時代に奥州探題大崎氏はこれを自領内の現大崎市田尻に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、大崎八幡宮と呼ばれた。()

長床
長床
長床絵馬
長床絵馬

大崎氏の滅亡後は仙台藩祖伊達政宗が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地を神域と定め、1604年より工事を始め1607年に遷座祭を催し、仙台藩総鎮守とした。この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬していた成島八幡宮を共に祀った。()

金刀比羅社
金刀比羅社
神輿殿
神輿殿

太元社
太元社
ベガルタ仙台・楽天イーグルス必勝祈願絵馬
ベガルタ仙台・楽天イーグルス必勝祈願絵馬

社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招かれ、豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が発揮され、また後の日光東照宮につながる形式(相の間造りまたは石の間造り)である権現造りの現存最古の建造物として、1952年(昭和27年)に社殿全体が国宝に指定されている。
藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称していたが、御遷座400年を迎え1997年(平成9年)6月、社名を大崎八幡宮に戻した。
また仙台における「卦体神(けたいがみ)」という十二支の神を信仰する習俗においては乾(戌亥)の守護神とされ、戌歳・亥歳生まれの人々から格別の崇敬を受けている。()

拝殿
拝殿
北参道鳥居
北参道鳥居

仙台
仙台城跡
仙台城跡
政宗公騎馬像
政宗公騎馬像

(上)仙台城跡 伊達政宗によって築かれた仙台城は、現在ところどころ再建されている。仙台のシンボルともいえる政宗の像が立ち、市街地を一望できるスポットでもある。敷地内には資料展示館もあり、300インチのCGで仙台城の復元映像を見ることが出来る。
JR仙台駅から観光シティループバス「るーぷる仙台」で20分、仙台城跡下車。

瑞鳳殿
瑞鳳殿
善応殿・感仙殿
善応殿・感仙殿

(左上)瑞鳳殿 1636年、70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋。桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年、国宝に指定されたが、1945年の戦災で惜しくも焼失。現在の建物は1979年に再建されたもの。
(右上)感仙殿・善応殿 感仙殿は二代藩主忠宗公、善応殿は三代藩主綱宗公の霊屋だが、これも瑞鳳殿に続いて再建されたもの。

晩翠草堂
晩翠草堂
地底の森ミュージアム
地底の森ミュージアム

(左上)晩翠草堂 名曲『荒城の月』の作詞者であり、詩人・英文学者としても知られる仙台出身の土井晩翠(つちいばんすい)が晩年を過ごした旧邸。
愛用した下駄やベッド、写真、書画などが展示されている。
JR仙台駅から観光シティループバス「るーぷる仙台」で7分、晩翠草堂前下車すぐ。
(右上)地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館) 旧石器時代を中心としたテーマミュージアム。ここでは富沢遺跡から発掘された2万年前の旧石器時代の遺跡面を現地で保存し公開するとともに、発見された資料などから当時の環境と人類の活動を生き生きとよみがえらせる展示をしている。
世界的にも貴重な発見だったので、建設を予定していた小学校を別の場所へ移し、地底の森ミュージアムが建てられた。

青葉まつり
青葉まつり
政宗公山鉾 (仙台観光コンベンション協会)
政宗公山鉾 (仙台観光コンベンション協会)
囃子山鉾 (NTT)
囃子山鉾 (NTT)

青葉まつり 仙台藩主・伊達政宗公を祭神とする青葉神社の「青葉まつり」が始まったのは、明治8年から。それ以前の藩制時代は、「仙台まつり」として、藩主在国時に行われていた。各町内ごとの山鉾が巡行し、年々盛んになるが、明治32年を最後に、電線が市中に張り巡らされ巡行が困難になり山鉾の姿は消えた。その後、昭和60年に政宗公350年祭を期に「青葉まつり」は復活。63年からは「仙台まつり」を再現するかのように、「青葉まつり」に山鉾が登場した。

仙臺すずめ踊り
仙臺すずめ踊り
大鯛山鉾(阿部蒲鉾)
大鯛山鉾(阿部蒲鉾)
仙臺すずめ踊り
仙臺すずめ踊り

すずめ踊りは、慶長8年(1603年)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りにはじまるといわれている。伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから「すずめ踊り」と名付けられ、長く伝えられることとなった。戦後、「すずめ踊り」も次第に継承者を失い、ひっそりと受け継がれるだけになっていたが、途絶えかけた伝続を守るため復元。 昭和62年より『仙台すずめ踊り』としてコンテストや講習会が開かれ普及してきた。



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